「テレヴィ史」(2020年12月17日)

ライター: TV放送教育訓練センター理事、ジャマルル・アビディン・アス
ソース: 2002年8月18日付けレプブリカ紙 "Berpacu Dalam Parodi"

2002年8月24日にインドネシアの三つのテレビ放送局が誕生日を迎える。TVRI
40歳、RCTI13歳、SCTV12歳だ。

TVRIは最初、スナヤンスポーツセンター財団Yayasan, Gelora Senayanの一局として
発足し、後に情報省の実行担当ユニットになった。1999年末に情報省が解体されると
TVRIは大蔵省管下の会社になった。現在は国有事業体省の国有企業になっている。

1987年にテレビ局長から20年間の限定ルートによる放送の基本承認を得たRCTI
は1989年3月1日からデコーダー方式の放送を開始した。時のハルモコ情報相の許可
を得てから5カ月後に、RCTIは民間商業放送公開テレビ局に変身した。それが198
9年8月24日だった。スハルトの息子が所有するこのテレビ局は1993年に全国放送
TVになった。

最初の許可がスラバヤのローカル放送局だったSCTVは1990年8月24日に放送を
開始したが、結局RCTIの後を追って1993年に全国ネットにのし上がった。

この三つの放送局の誕生祝に、述べておきたいことがある。TVRIは40年という長い
経験を安定化のために生かせていない印象を受ける。この最年長のテレビ局はあたかも
Life begins at fourtyをモットーにしているかのようだ。


その萌芽がインドネシア共和国第17回独立宣言記念日の出生で1962年8月24日に
公式放送を開始したTVRIは適切な事前調査に支えられたものでなかった。確かにマラ
ディは国営ラジオ局長時代の1952年に、インドネシアのテレビ放送局設立構想をブン
カルノに提言している。

どんな成り行きが先にあったのか、ブンカルノは1961年10月23日にウイーンから
マラディ情報相に宛ててテレビ放送局設立を指示する電報を送った。当時のインドネシア
でのテレビ放送導入は、スカルノのメガセントリック政治構想の一コマという趣の方が強
かった。標的はジャカルタで開催される第4回アジア大会に焦点が絞りこまれていた。当
時の国民経済がどれほど見すぼらしいものであろうと、ホテルインドネシア、スナヤンス
ポーツコンプレックス、スマンギ立体交差そしてTVRIの建設といったアドバルーンプ
ロジェクトとスローガンアイコンに向けられたスカルノの意欲をひるませることはなかっ
た。

TVRIの準備不足は放送開始初期の番組編成からもうかがい知ることができる。TVR
Iは、アレックス・レオ、フィクトル・キュー、カディオノ、ライス・バヘラムシャ、ア
ルヨノら国立ラジオ局RRIのアナウンサーによるナレーションをつけて国立映画センタ
ーPusat Film Negaraの映画を再放送することばかり行っていたのだ。TVアイコンとし
ては未熟なその出生とスカルノのアドバルーン政治信条が国営テレビ局であるTVRIを
外見的で不人気なものにした。

テンペ文化やかれがngak-ngik-ngok音楽と名付けたクスブラザーズの音楽に対する嫌悪が
TVRIをして国民生活の実相に根ざさない単なるTVアイコンへの道を歩ませた。その
時代に長髪でピチピチのズボンをはいたアーティストがTVRIのスタジオでTVカメラ
の前に立つことなど期待するのも無理な話だった。TVRIの建物の外には西洋諸国から
流れ込んでくるポップスカルチャーがあふれかえっていたというのに。


スハルトがオルバを担ぎ上げたときTVRIは、民族建設のためのヌサンタラ意識に即し
た民族防衛と安定を目指す民族統一と一体化の価値観を謳いあげたスローガンを踏まえる
パラパ国内衛星通信システムSKSD Palapaを売り物にする全国カバーの形式的ネットワー
クの罠に落ちた。

TVRIはそのスローガンを放送内容に織り込むことに成功しただろうか。結果は否だ。
オルバレジームが崩壊したとき、分離主義の芽があちこちにふきだした。番組の変わり目
の都度流される「統一と一体化」のスローガンも単なる掛け声に終わり、血の通うものに
ならなかった。


その後、政府の一機関だったTVRIは公共放送局になって10の民間テレビ局と肩を並
べているものの、似てはいるが違うものという姿をしている。2002年に1.2兆ルピ
アと言われたTV広告市場のシェアを手に入れるために、TVRIはパロディ姿を露呈し
なければならないのである。

民間テレビ局が広告収入の12.5%を納めなければならないという合意は反故にされ、
息絶え絶えになったTVRIは利益志向の国有企業になって、けばけばしくパロディチッ
クにわが道を歩まなければならなくなっている。この公共テレビ局はポップスカルチャー
をトレードマークにするフレッシュな民間テレビを模倣している印象が強い。

齢40にして成熟しているはずの公共テレビ局が、自分探しに熱中しているいまだに十代
の民間テレビ局の模倣をしている姿は、実に残念なありさまだ。不幸なことに、過去スポ
ーツ世界選手権の放映を欠かしたことのないTVRIが、2002年サッカーワールドカ
ップ韓国=日本戦の実況放送権をRCTIに譲ってしまった。SCTVも、ブロッゲート
Buloggate事件裁判のビデオコンファランスを放映した。公共テレビ局としてTVRIが
その役割を担うのが当然と思われていたにもかかわらず。

40歳になったTVRIにわれわれが期待するのは、tua-tua kelapa(齢を重ねて滋味が
増す)なのである。tua-tua keladi(年寄りの冷水)なのではない。誕生日おめでとう。