「音楽用語」(2020年12月18日)

ライター: 文司、ジャカルタ在住、レミ・シラド
ソース: 2003年11月29日付けコンパス紙 "Sekitar Musik"

今のような英語狂いが流行する前の時代、インドネシア語はオランダ語を取り入れていた。
musikusは単数でmusisiは複数。同様にpolitikusは単数でpolitisiは複数、kritikusは単
数でkritisiといったように。現代インドネシアでmusisiは単数で使われている。多分英
語のmusicianに当てはめたのではあるまいか。たとえそうだとしても、いま一般に使われ
ているmengkritisiほど耳をくすぐるものではないのだが。どうであろうとも、このよう
な紛糾は発展途上のインドネシア語にとって当然の現象と考えるべきだろう。

西洋の諸言語で使われている音楽用語も歴史に関連する特有の用法を持っている。たとえ
ばオランダ語のmuziekaalや英語のmusicalを見るがよい。それはmusikalというインドネ
シア語になった。

だがオランダ語のmuziekaalは形容詞であり、英語のmusicalは名詞にもなる。1765年
に米国で歴史の始まったmusicalは歌舞劇だ。

フランス語のchanson populairやイタリア語のcanto popolareを英語のpopular songと同
義であると思ってはいけない。英語でそれらの同義語はfolk songであり、オランダ語で
はvolksliedになる。インドネシア語ではlagu rakyatに相当する。

ナサコム時代を体験したひとたちにとってのlagu rakyatというのは往々にしてnyanyian 
perjuanganのことだった。そのあと、ngak-ngik-ngok音楽と呼んでロックやチャチャチャ
を嫌悪したスカルノに応えるためにfolk songであるlagu daerahが掘り起こされた。


カッコよさを印象付けるためにきわめてインドネシア的な音楽用語が作られた。そのひと
つがgroup bandだ。このスペルを使うことでたいへん英語的になったのだが、この語法は
英語的ではない。

ポストビートルズ時代のグループという言葉はキーボード・ベース・ドラム・ギターの最
低4人のインストゥルメンタルグループを指し、レコーディング市場向けに自作の曲を演
じる形態を意味していた。一方のバンドは歌手の伴奏を務める演奏者の集団を指していた。
ところがジョン・レノンはビートルズにクラブバンドの名称を用い、イアン・ギランもデ
ィ―プパープルから分かれた後で自分のグループにバンドの名称を使った。

マレーシアでも1970年代の娯楽雑誌はグループとバンドの使い分けを行っていた。グ
ループはクギランkugiran、バンドはパンチャラガムpancaragamであり、パンチャラガム
はpasukan muzikとも呼ばれた。

音楽発展史の中でのインドネシア独特の音楽用語は音楽イラストilustrasi musikだろう。
この言葉は映画音楽の世界で標準語彙になっている。この言葉が出現したのは1924年
で、バタヴィアでサイレント映画が上映されていたころだ。メアリー・ピックフォードが
主演したロシータという映画のとき、映画館入場口でオーケストラが来場客に音楽をサー
ビスし、ゴンが打ち鳴らされるとオーケストラは中に入って映画の開始前にオランダ国歌
を演奏し、来場客は起立する。そして映画が上映されている間、ポール・デュポン作曲の
ラロシータという曲をオーケストラが適宜演奏した。その曲は一年前から78回転のフォ
ノグラフで流行していたものだ。

その音楽演奏はサイレント映画の動きに添えられた単なる伴奏でしかなかったが、その仕
事が音楽イラストと呼ばれたのである。