「学校教科書のイラスト」(2020年12月18日)

倫理政策の時代に入って、オランダは東インドの原住民に教育を与える方針を開始した。
プリブミの初等教育のためにHIS(Hollandsch-Inlandsche School) が設けられ、教科
書はオランダで制作された読本が使われた。フロニゲンGroningenに本社のあるヴォルタ
スJB Woltersが制作出版したオッエンシーンOt En Sien(1904)、ピムエンミーンPim En 
Mien(1907-08)などが学校で使われ、オッエンシーンは1909年に子供向けのイラスト
が入ったものに変わった。

ピムエンミーンと1911−12年のビュールキンデレンBuurkenderenは最初から絵入り
で出版された。それらの教育用読本のイラストは最初から最後まで白黒のものだった。ヴ
ォルタスはまたBelajar Bahasa MelayuやWulang Basaなどの言語学習テキストも出版した。
ヴォルタスはバタヴィアに支店を置いた。


それらのイラストを描いたのがオランダ人コルネリス・イェッススCornelis Jetsesだっ
た。1873年にフロニゲンに生まれたイェッススは1955年に没したが、東インドで
生活した履歴は持たなかったようだ。読本に掲載されているイラストはたいへんに精密で
詳細な絵になっていて、まるでジャワでの生活体験を持った人物を想像させるのだが、か
れはそれらを写真をもとに描いたのかもしれないし、ジャワを何度か訪れたことがあった
のかもしれない。

イラストはオランダ人・華人・ジャワ人の子供たち用に描かれたもので、その時代のジャ
ワにおける文化・社会生活・自然・子供の遊び・乗り物・台所道具など暮らしの中にある
実相が描かれている。

その1900年から1940年までの当時のジャワで、どのような飯の炊きかたがなされ
ていたのか、子供たちはどんな遊びをしていたのか、家の客間で家族はどのように睦あっ
ていたのか、どんな乗り物があってどのように使われていたのか、野菜売りの女はどんな
様子をし、力仕事の男はどんなありさまだったのかといったことを、それらのイラストは
ありのままに物語ってくれる。


その中に感じられるのは、植民地支配者であるオランダ人と被支配者のプリブミがひとつ
の調和の中に共存している姿が見られることである。オランダと地方の王国が戦争をして
いるという現実があっても、ジャワでオランダ人はジャワ人と日常生活の中で交流し、共
同生活を営んでいた。

イラストに描かれている女性はみんな、それがジャワ人であれ、華人であれ、オランダ人
であれ、クバヤを着ている。着ているものはクバヤだが、華人は華人調の、オランダ人は
オランダスタイルの、ジャワ人はジャワ様式のものを着ており、ジャワという土地の伝統
文化に外来者が従いながらも、自己の文化をそこに溶け込ませているありさまから、ひと
つの調和を感じ取ることもできる。

あるイラストにはひとりのジャワ女性が部屋の中で縫物をしている光景が描かれている。
女性の横にはスヤスヤと眠っている赤児がいて、女性の前には人形で遊んでいる少女がい
る。子供たちの顔つきはオランダ人であり、そのジャワ女性が家庭プンバントゥであるこ
とが明白だ。その構図から、オランダ人トアン夫婦がそのジャワ人プンパントゥに全幅の
信頼を置いてわが子をゆだねている様子が伝わってくる。だからこそ、用事があればトア
ン夫婦は心置きなく揃って外出することができるのである。その支配者と被支配者、征服
者と被征服者の間に生まれた信頼関係は、植民地における特異な調和を生み出してきた。

似たようなことは、インドでも、ベトナムでも、中国でも、朝鮮でも起こった。民族とい
う枠でくくられている個々人が、それぞれの生活の場で支配被支配関係を常に演じていた
とは限らないのだ。

だがイラストやテキストの中に描き出される支配民族と被支配民族間の調和を被支配者の
幼児期に教え込むことはきわめて政略的であると見る意見も聞こえて来るだろう。合目的
性原理を踏まえて隠された意図を推量することに意欲を燃やす人間は、決していなくなる
ことがない。

だとしても、イラストやテキストが生活の実相を正しく反映しているものであるなら、幼
児を洗脳するための単なる政略的プロパガンダだと言い切ることもむつかしいにちがいあ
るまい。芸術が映し出しているものは人間の本性に発した麗しい姿であるのが普通だから
だ。