「植民地文明(1)」(2020年12月21日)

19世紀にオランダ王国が当時東インドと呼ばれた現在のインドネシアを植民地にした。
その時代におけるヨーロッパ諸国の世界制覇競争が植民地主義という現象を招いたことは
疑いもない。オランダ東インド会社VOCがポルトガル人を追い払い、割り込もうとする
イギリス人から徹底的に既得支配権を守り通してその地域に覇権を打ち建てることができ
たのは、なかば奇跡的なことだったのではないかと思われる。オランダ王国のインドネシ
ア植民地化はVOCの礎石の上に建てられた植民地主義の殿堂だった。

植民地獲得競争が地球を一巡りして安定化の時代に進みつつあった時期に文明化を標榜し
て極東アジアの一国が覇権文明諸国の仲間入りをしようと考えた。植民地主義が被支配国
に対してその国その民族を文明化するという旗を振っていたのだから、自ら西洋文明化し
たいと言ってきた民族があるという事実にかれらはきっと驚いたことだろう。まるで植民
地にされた民族の穏健派が言うようなセリフじゃないか?

だがそんな甘い話でないということはすぐに馬脚を露した。植民地主義どころか、帝国主
義の唸りが極東で始まったのだから。ただそれはしかたのないことだったのである。なに
しろ覇権文明を握った西洋人が示しているお手本がそれだったのだから、文明をわが物に
したい民族にとってはそのようなことをすることによって文明化するのだというロジック
が働いて当然だったにちがいあるまい。文明化が国防の基盤であり、帝国主義が国家民族
発展の正当な姿であるという物差しが素朴に信じられていた時代がきっとそれだったのだ
ろう。

だがしかし、祖先が構築した文明文化を捨て去って異民族の文明文化に乗り換えようとし
た民族が他にあっただろうか。それも、押し付けられたのでなく自主的に。浅学のわたし
にはよく分からない。

植民地宗主国は誇りを持って自文明を支配対象の国と民族に押し付けたのだから、乗り換
えなどするはずがない。被支配国も祖先の文明文化を守ろうとする一派と、開明進歩を旗
印にして乗り換えを進めようとする一派の相克が起こり、どちらとも決着がつかないまま
ずるずると時を経過させて最終的に折衷に向かった印象が強く、一民族をあげてそれを推
し進め、ほぼ成功というレベルに達した民族というのはユニバーサルな観点から見て、き
わめて特異な存在ではないかという気がする。


古来伝統文化である個人アイデンティティとしての氏名の順番を、文明宗主国のひとびと
との交際においてはかれらの習慣に合わせるという、個人の誇りを喪失させてしまいそう
なことを文明化の名の下に平気で行ったことや、正月という宗教祭事を基盤に据えた慣習
をオランダ正月なるものに変えてしまい、中国に由来するとはいえ伝統文化に根ざした正
月を旧正月という名で時代遅れのものにしたことなど、その例は枚挙にいとまがあるまい。
他のアジア諸国のひとびとが、自分たちは西暦の暦としての正月と伝統祭事として祝う文
化に根ざした正月を持っているのだが、日本はどうなっているのですか、という質問に日
本人はどう答えるのだろうか。

西暦の暦としての正月は西暦の御本家たる西洋社会でも文化に根ざす祝祭日になっている
わけではないとわたしは思っている。ところが日本人は旧正月の祝祭を西暦正月に移し換
えてしまった。西暦正月である1月1日に文化的祝祭を行っている民族がこの特異な民族
以外に世界のどこかにいるのだろうか。

日本には元々文明というものは存在しなかったと考えている日本人がいるのであれば、そ
れは日本を白人文明化しようとしたひとびとが設けた落とし穴にすっぽりと落ち込んで、
してやられた族になっているということではあるまいか。文明と文化という言葉を曖昧模
糊とした定義で使っている限り、知性がその内容を明確に弁別できる日はやってこないだ
ろう。文明はなくて文化だけがあるという考え方は、模倣のものばかりで自前のものはあ
りませんと言っているようで、どうも納得しがたいものに感じられるのである。[ 続く ]