「植民地文明(2)」(2020年12月22日)

文化というのが有形無形の現実生活の場に存在する事物やシステムであり、文明とはその
産物としての文化を生み出す原動力となった精神的パワーと事物の創造を可能にした能力
を指しているとするなら、個性的でユニークな文化のあるところには必ず文明が存在する
ことになる。世界の〇大文明だけが文明なのではない。大文明ならずとも小文明でも文明
は文明なのだ。

元々文明など持っていなかったのだから西洋文明をわれわれは身に着けるのだというセリ
フは、先に上げた氏名の順番を逆にすることと同様に、民族アイデンティティへの冒涜で
はないかという気がわたしにはする。話を戻そう。


未開民族の文明化というのがことほどさように植民地主義を正当化するスローガンに使わ
れたのも事実だ。覇権文明を背負う白人の有色人種に対する気高い責務がそれであり、そ
れがゆえに自分たちは未開人に君臨する座を占めるのである、というのがかれらのヘゲモ
ニーの礎石の一端に書かれていただろうことは疑いあるまい。

だがオランダにとってインドネシアの植民地化が本当にそんなスローガンに沿ったもので
あったのかどうかという議論になると、オランダ人自身の間からも疑問を満載したため息
がぽろぽろとこぼれ落ちてくる。

そもそも白人文明の中心に座ったことのないオランダが、フランスとドイツというふたつ
の強大な政治軍事民族のはざまで翻弄され続けた歴史を持つオランダ民族が、白人文明の
主人としてインドネシアに君臨すること自体にまやかしじみた印象を受けた者も少なくな
かったことだろう。

だが本国の土地のすべてが水に囲まれ、州の半分が海面下にあり、両隣の強国が折に触れ
て支配下に置こうと干渉して来る中を、一寸たりとも国土を奪われまいとしてさまざまな
闘争を何百年にもわたって続けてきたオランダ民族の性格は、十分に特異なものにねじり
あげられていたと評する見解もある。得たものは決して手放さないというその性格が東イ
ンドをしてオランダ人の3百年にわたる搾取の継続を実現させたことの実証だと言っても
間違いには当たるまい。

今からほんの5〜6世紀ほど前に勃興した白人文明が、1千年をゆうに越えるローカル文
明を持つジャワやバリの住民たちに君臨できたのは、闘争と支配のための文明の産物とい
う面だけが突出していたからではないのだろうか?もちろん、人類の歴史の中で大文明は
常に強力な軍事力を抱えていたのも事実であり、その伝統が白人文明にまで流れ込んで来
たという解釈は間違っていないように思える。直立歩行するサルが持つ支配への心的傾斜
はあたかも人類の本性に刷り込まれたものであるかのようだ。

人間が人間として持つべき文明という面の比較をするのであれば、人間の生き様について
のお手本や関連する価値観は似たり寄ったりのものに違いあるまい。そもそも支配の座に
着いて異民族に君臨するということ自体が人類発展史における文明としての優劣を物語っ
ていると見ることも可能だろう。しかしそんな文明観はあのころ、ほんの一部の天才の頭
脳の中にしか存在しなかったように思われる。


ヨーロッパ人の植民地にされた国々はたいていが、何百年もかけて築いてきたローカル社
会慣習を白人文明化させようとして宗主国の白人が行う干渉を蒙った。それが尊い行為と
位置付けられたのだから、白人たちが熱を入れて当然だ。未開民族の精神をたたき直し、
根性を入れ替えさせるという「崇高な」思いを実現させるためにビンタを張りまくった
「文明人」も出現することになるのだが、植民地根性は植民地であるから繁茂していくの
である。あるいは植民地をやめて属国にしたのだから植民地根性は消滅するべきだ、とい
う論理を使ったところで、それは属国根性とでも呼ぶべき同じものに変わるだけなのでは
ないのだろうか。レトリックをどう弄ぼうが、実体を言葉で変化させることはできない。
[ 続く ]