「インドネシアのウナギ(3)」(2020年12月23日)

雨季になると、おウナギ様たちは川岸の竹やぶに近い草地に上がって来るという。昔々、
デトウィラ部落にサレ・ゴレという男がいた。サレ・ゴレは悪性の皮膚病にかかり、その
姿を恥じて故郷のシッカに帰った。シッカの洞窟にこもって瞑想三昧にふけっていたサレ
・ゴレは黄金の首飾りを得た。

かれはデトウィラ部落の自宅にそれを持ち帰ってつづらの中にしまっておいたが、ある日
黄金の首飾りが暑い暑いと言い出した。サレ・ゴレが首飾りと会話すると、首飾りは川の
水につけてくれと言った。サレ・ゴレは首飾りをロウォマモ川に持って行き、水中に置き、
目印に竹の切れ端を地面に刺しておいた。翌日首飾りを引き揚げに行ったところ、首飾り
はなくなっており、そこにいたのは大きなウナギだったというのが、おウナギ様をご先祖
にいただくウォロトロ住民たちの間に語り伝えられている伝説だ。


華人メニューの中に出てくるlindungという言葉がある。それが意味しているのはbelutだ。
ブタウィ語辞典でlindungは第一義がbelut、第二義が保護という説明になっている。

ところがムラユ語華語辞典にはlindongという綴りで登場し、第一義が遮蔽・保護、第二
義がジャワ語の泥鰻という説明になっていた。ちなみに、マレーシア語辞典Kamus Dewan
のlindung、KBBIのlindungも格付けはムラユ語華語辞典と同じで、ブタウィ語におけ
るウエイトだけが違っているように見える。

lindungという音の響きがなんとなく華語に由来したかと思わせる雰囲気を漂わせている
のだが、lindungの原義が「他者の視界から逃れたり、風や暑さから免れるために何かの
下に身を置く」であることを想えば、ウナギがその言葉で呼ばれるのもむべなるかなとい
う気がする。言うまでもなく、そんなことをするのがウナギだけとは限らないわけだが、
ウナギの生態を見てlindungという言葉に結びつける発想には自然さが感じられる。


ジャワ人はもちろん、泥鰻を食う。ヨグヤカルタ特別州バントゥル県バグンタパンのドカ
ラン部落には、近郷に名高い食事処がある。そこにはWarung Welut Pak Sabarという商号
が掲げられている。[b]古音が[w]という異音を持っていたことはwulan=bulan, wesi=besi
などから明白だろう。

このワルンでは何種類かのbelutメニューを出してくれる。中でも好評なのがサンバルブ
ルッsambal belutだ。ソフトで旨味のあるタウナギの身がチャベラウィッcabai rawitと
絶妙のハーモニーを感じさせてくれる。

作り方は、まずタウナギの身をつぶし、ニンニクと赤チャベラウィッ、クンチュルkencur、
コブミカンの葉daun jeruk purutを合わせてすりつぶす。とてもシンプルな組合せがウナ
ギの身の旨味を引き立たせている。

タウナギのフライbelut gorengも旨味がある。タウナギの身を骨からはがし、ニンニクと
ターメリックをまぶして油で揚げる。サンバルブルッを付けて食べるのもよし、トマト、
トラシterasi、バワンbawangなど別のサンバルで食べてもよい。

揚げ方も好みを注文すればよい。レアフライsetengah matangもカリカリgaringに揚げる
のも、客の希望に添ってくれる。そして外したタウナギの骨もカリカリのクリピッkripik
に揚げる。何ひとつ無駄がない。

店主は言う。「わたしゃ、養殖belutは使いません。田んぼで捕れたbelut sawahがいちば
んうまい。養殖ものは絶対belut sawahにかないませんよ。」

クロンプロゴに、特別にbelut sawahを供給する卸屋があって、生きたタウナギを週2回
送って来る。このワルンが買っているのは一回40キロで、客が注文するまでタウナギは
生きたまま飼われる。

店主のサバル氏はそれまでアンクリガンangkringan商売をしており、タウナギをおかずに
入れたナシクチンnasi kucingを作って売っていた。そんな関係でタウナギ捕獲人とのつ
ながりはあった。[ 続く ]