「酔いどれジャワ人(1)」(2020年12月28日)
インドネシア語のminumはジャワ語のゴコngokoでゴンべngombeという。クロモはまた違う
言葉だ。このゴンべという言葉に「酒を飲む」という暗意をしみ込ませたのがオランダ人
だったらしい。日本語の「飲む」と同様に、明意は「飲む」だけであり、時と場合によっ
て暗意の「酒を飲む」が使われる。「残業が終わったら飲みに行こう。」は暗意で使われ
る用法ということだ。

ジャワ人が酒を飲むという意味でゴンべという言葉を使うようになったのはVOC時代以
来だそうだ。VOCはヌサンタラの諸王国を服属させたとき、レップを宮廷に入れて王家
一族の手綱を握り、表面は和気あいあい、その裏では支配被支配のせめぎ合いという外交
を行った。


ラフルズはHistory of Javaの中で、ジャワ島プリブミにワインの飲酒を教えたのはオラ
ンダ人だったと書いている。かれはVOC崩壊後のジャワ島で、プリブミが洋酒を飲んで
いる姿をたっぷりと観察したにちがいあるまい。

宮廷で結婚式やパーティがあれば、オランダ人高官も寿ぎを述べにやってくる。楽しかる
べき宴に酒がないのをオランダ人が我慢できようはずもない。多分、招待主が西洋客人の
ために用意したのが始まりだったのだろうが、プリブミ貴族層が飲酒の習慣に倣うのは時
間の問題だったようだ。

もちろん、ジャワ人上流層だけでなく中流層も、もっと小規模ではあれ、似たようなこと
をしたらしい。プリブミが直属の西洋人上司をスラマタンに招く。高位の西洋人がやって
くれば、スラマタン主催者には大きな誉れになる。だから、主催者は上司を最大限もてな
そうとするに決まっている。いまだかつて手にしたことのない洋酒を客人に提供して当た
り前だろう。

そのようなVIPゲストのための洋酒が、そのうちにVIPゲストのいない宴でステータ
スシンボルになっていった。プリブミだけの集いであるにも関わらず、社会階層・モダニ
ズム・プリヤイのプライドなどを飾るためにひとびとは洋酒を使うようになる。

ヨーロッパ産の輸入酒がプライドの源泉になってしかるべきように思われるのだが、現実
はそうでなかった。末端庶民層が飲んでいるアルコール飲料も上流層のプライドの発露た
る場に招かれるようになっていったのである。うるち米・モチ米・ニンニク・黒コショウ
・トウガラシを混ぜて作るバデッbadekやブロムbromのステータスが上昇した。


上流層の行為は下流層のお手本である。ジャワ島では、社会階層や経済力と無関係にゴン
べの習慣が広まって行った。祝い事ならその理由、うっ憤を晴らしたいならその理由、飲
みたいから理由を付けて飲み、酔っぱらうのである。

何を飲むかは、懐具合・社会的地位・名目が何であるか、といったことで決まった。古い
文学の中にも、ゴンべに関する記載が顔を出す。倫理問題から飲酒で得られる快楽まで種
々の内容が取りざたされている。ゴンべというのは単に体内に飲み物を入れるということ
ではないのだ。封建制度とコロニアル制度が溶け合った、伝統とモダンの融合する文化に
根差す儀式と作法が存在したのである。

宮廷で、都市で、村落部で、ゴンべは続けられた。ヨーロッパ人への敬意を代表していた
ゴンべはアイデンティティ・経済・政治・文化の自己表現という帰結を持つ習慣に確信を
持って移行して行った。

ギヤンティ協定という重要な歴史事件でさえも、オランダ人植民地高官とジャワ人支配者
の間で乾杯の儀式が行われている。それに続いて、結婚式や昇進を祝う祝宴やパーティが
続々と催された。[ 続く ]