「植民地時代の石碑」(2020年12月31日)

三百数十年に渡ってオランダ人がインドネシアに残した石碑を研究している者がいる。石
碑の大半は墓碑だから、かれにとって墓地は手慣れた仕事場のようだ。墓碑は単に故人の
歴史を物語るだけでなく、各時代の歴史をもかれに語り掛けて来る。1950年中部ジャ
ワ州クドゥス生まれのリリ・スジャッミント氏はインドネシア大学文化科学部で博士号を
取り、そこで教鞭を振るっている。名前はリリだが女性ではない。

かれがその分野に踏み込んだのは、客員教授として来ていたアムステルダム大学のコロニ
アル文学専門家バート・パースマン教授のバンテン調査に誘われたのがきっかけだった。


1996年にパースマン教授は、はじめてインドネシアにやってきたオランダ人コルネリ
ス・デ・ハウトマン船隊が上陸したとされているカランガントゥKarang Antu港やスペル
ヴェイクSpeelwijk要塞の近くにあるオランダ人墓地などを訪れた。その後も教授は教え
子たちを連れてバタヴィア旧市街を訪れた時、リリを誘った。ジャカルタ歴史博物館・海
洋博物館・スンダクラパ港・ワヤン博物館・シオン教会などを訪れて歴史の遺跡を見て回
る中に、オランダ人が残した石碑が必ずあった。

インドネシア大学でオランダ語を教えていたリリは、石碑に刻まれているオランダ語が古
語であることに興味を惹かれ、石碑その物への関心が強まっていった。17〜18世紀に
使われていたオランダ語の中に、今では既に消滅している言葉もある。また字体が異なっ
ていたり、綴りが一定していない現象も見られた。たとえば商務員にkoopmanとcoopmanの
二種類が使われていたりする。


VOC時代の墓碑の中に、その後一般的になった直立型でなく平面型のものもあった。ジ
ャワで言うkijingのように墓穴に上からふたをする形式の、長さ2.2メートル幅1メー
トルの大きな石盤になっていて、四隅に鉄環が付けられて墓穴を開くときの引き上げの便
が図られている。故人の家族がそこに葬られるとき、墓穴がまた開かれるのである。

その石盤にシンボルマークや献辞などが刻まれている。かれはスリランカやオランダにあ
るさまざまな墓碑をも研究のために調査した。故人が生前に就いていた社会的地位(特に
VOCにおける位階)や財力が墓碑の大きさに反映されており、墓石の素材までもが格差
を示すのに使われていた。

VOC高官の墓石はインドから輸入された大理石が多い。中でも最高級素材はインドのコ
ロマンデル海岸にあるサドラス地方のタミルナドゥ丘から切り出されるものが厳選されて
いた。ジャカルタにある墓石の中に、国産の石が使われているものもあった。マルク産の
黄サンゴ岩karang kuningがそれで、1648年8月2日に没した東インド参事会員アン
トニー・カンAnthonie Caenと妻のマリアの豪華な墓石をワヤン博物館で見ることができ
る。VOCが崩壊した後、そのように高価な石はもう使われなくなり、大理石に一律化さ
れた印象が強い。


VOC時代の墓碑に見られるシンボルや献辞は石に彫り込まれているものがほとんどだが、
中には浮彫になっているものもあり、故人の生前の権勢の大きさを想像させてくれる。V
OC時代の終焉にさしかかった1795年までの墓碑には貴族の家系を示す紋章を彫り込
んだものが頻繁に見られた。

墓碑に見られる銘刻の中に、短縮語が使われていることがかれの興味を引いた。一見して
すぐに想像の付くものもあったが、考えた末にやっとわかったものもある。Vはvanであり、
DHはDe Heerであり、ExcelはExcellentieであることがすぐに分かったが、LGがラテン語
のLaudate Gloria in Excelis Deoであったり、NTがやはりラテン語句のNaturae Tempus 
Abire Tibi Estということを知るには時間がかかった。

だが墓碑の中に誤彫がそのまま残されているものすら見つかっている。1694年に没し
たVOC高官のヨハネス・モーリスJohannes Moorisの墓碑にはCOMPAGNIEと書かれるべき
ものがCOMPEGIEとなっていた。このできごとの裏側にはきっと「過ちは人の業、赦しは神
の業」をなぞるエピソードがあっただろうことを想像させてくれて、ほほえましい。

ジャカルタだけで、オランダ人墓碑は数百もある。ワヤン博物館、シオン教会、オンルス
ト島・・・。その一部がわざわざ集められたのがタナアバン地区の石碑公園博物館だ。だ
が、シオン教会には大変特異な墓碑が置かれている。それはヘンドリック・スワーデクロ
ーンHendrick Zwaardecroon総督のもので、石にブロンズ板が貼り付けられた墓碑になっ
ている。リリは既にライフワークとなった石碑研究の成果をいくつかの書籍にして発表し
ている。