「酔いどれジャワ人(終)」(2020年12月31日)

撲滅作戦は、失敗とは言えないまでも、たいして成果のない結末を迎えた。その原因の第
一要因が、ヌサンタラのプリブミ住民にとって飲酒があまりにも古くからの伝統になって
いたことだったと見るのは間違っていないだろう。マジャパヒッ王国黄金期に書かれたナ
ガラクルタガマを読めば、その時代に王宮で開かれた宴が常に飲酒で彩られていたことが
よく分かる。

収穫明けの祝祭はいつも、王がタンポtampoを振舞って幕開けの合図にすることになって
いた。タンポとは最上のコメで作った強いアラッだ。オランダ人がヌサンタラに住み着い
て以来、悪徳高官はもとよりたいていのオランダ人高官がヨーロッパ製の洋酒をヌサンタ
ラに輸入することで公私の懐を豊かにしていくビジネスに関心を注いだ。洋酒のメインは
ブランディとジンだった。何千フルデンもの酒税が毎年政府の金庫を潤したことは植民地
政庁の財務報告書が物語っている。悪徳高官もそれに負けじと自分の金庫を潤したのであ
る。

つまり大昔からヌサンタラはアルコールの匂いが空気の中に染みついており、オランダ人
がそれに輪をかけて洋酒をそこに注ぎ込み、ハラムの声もものかわと、権力の甘き香りを
楽しもうとする階層が自己証明に使ったのを見習って末端階層までがそれを真似た結果、
飲酒撲滅を言い出したころには天から地までがアルコール漬けになっていたというのがヌ
サンタラの飲酒状況だったようだ。

何しろ、飲酒撲滅の掛け声は植民地政庁と公的洋酒輸入販売ビジネス業界が、商売がたき
であるアラッなどの伝統的地酒に大打撃を与えようとして目論んだヤラセだったという見
解もあるくらいだ。地酒は公的なものであれば許認可で行政がいくらでもコントロールで
きる。闇酒が公的輸入アルコール飲料の真の商売がたきなのである。だから闇という名前
をつけて非合法性と非倫理性を謳いあげ、それを撲滅することで行政とそれに与する業界
が大儲けするというシナリオが描かれる。この構図は一世紀過ぎた今日でも、まったく同
じ状況が継続しているように見える。加えて汚職国家では、政府を儲けさせれば自分の懐
が潤う個人であふれているではないか。


1905年、カイロ在住のオランダ人実業家ファン・フローテンTh F van Vlotenは東イ
ンド植民地政庁財務部に対してアラッの国家専売制を提案し、スピリトゥスspiritus(変
性アルコール)製造工場を建設したいという問い合わせをかけてきた。

財務部が教育宗教産業部に意見を問うと、産業部長は否定的な返事をした。政庁はスピリ
トゥス製造産業と関わる気はない、という返事だ。スピリトゥスは燃料用物資だが、東イ
ンドにおけるスピリトゥスの需要はせいぜい照明用のペトロマックランプに使われる程度
で、燃料としては木材や石油がきわめて廉価に手に入るため、スピリトゥスの需要がある
とは思えないと言うのである。

そもそも教育宗教産業部というのはプリブミの工業や工芸を産業という言葉の焦点に置い
ている部門であり、モダン工場による大規模生産はお門違いの話だから、否定的な姿勢を
示すのも無理ないところだったわけだが、ともあれ財務部にもアラッ製造を国家事業にす
る気はなく、専売制の提案は拒否されている。

それが拒否されても、スピリトゥスの工場はスラバヤに建設された。蘭領東インドスピリ
トゥス会社Nederlandsch-Indische Spiritus Maatschappijが操業を開始し、スピリトゥ
スだけでなくアラッも生産した。

プリブミの小規模で時代遅れの製法を使うアラッ生産がNISMには目の上のタンコブだ
ったようで、スピリトゥスや蒸留酒のようなモダン蒸留技術を駆使する生産は高品質でコ
ストもかかるものであり、プリブミが行っているようなものはすべて無くして大型でモダ
ンな製造工場に集中させるべきだ、という論をかれらは機会あるごとに主張した。[ 完 ]