「真のニャイ(前)」(2021年01月11日) ライター: コムニタスバンブ歴史と文学研究員、オランダの東インド季節月報コラムニ スト、JJ リザル ソース: 2006年3月4日付けコンパス紙 "Nyai yang Sejati" ニャイ。その言葉は高貴な女性の品格と、踏みにじられて汚辱・崩壊・侮蔑の泥沼に落ち た侮蔑されるべき女性の姿の両方を含んでいる。本来の高貴な価値への回復努力がどのよ うになされてきたのかについて語るとき、われわれの心はたいした希望に満たされないの が実情だ。 ウマル・ヌル・ザインは現代インドネシア語辞典の中で、ニャイの語は古代文学の中に頻 繁に登場したと記している。それは、尊敬され愛された者に与えられた呼称だったのであ る。ところが19世紀末になって、オランダ植民地主義者はその語にネガティブな色彩の 濃い新たな語義を注入した。プラムディア・アナンタ・トゥルは1980年の小説「人間 の大地」の中でこう述べている。「誰もがニャイニャイnyai-nyaiを知っている。劣って、 穢れて、非文化的で、セックスに関することだけが関心事。かれらは虚無の中に跡形もな く沈んでいく本性を持たされたただの売春婦であり、人格のない人間だ。」 植民地主義の産物として与えられたニャイの語義はその後も生き続け、現代社会ではその 語義のほうが有力な観念になっているように見える。WJSプルウォダルミンタPoerwa- darminta編纂のKUBIはニャイの語義を、「外国人、特にヨーロッパ人、の妾」として いる。どうしてニャイのネガティブな語義があい変らず生き続け、元来の高貴な語義に戻 そうとする努力がなされないのだろうか? その努力を行った文学者としてSMアルダンとプラムディアの名前をあげることができる。 かれらは植民地におけるニャイが構造的システム的な犠牲者であり、加えて封建精神がそ の現象を鞭打ったことによって更なる虐待の犠牲になった者たちだったと見ている。植民 地制度の諸悪の機構化と知識化をたくらんだ植民地の文学者や著述家がニャイをかれらの 作品のツールに使った。ところがニャイの制度が悪だったという評価にとどまらず、ニャ イになった人間までもが悪と見なされたのである。ネガティブな語義の定着はこうして進 んだ。 それがためにアルダンとプラムディアは、ニャイ物語によってその歴史が始まったコロニ アル文学初期の時代に分け入ったのである。その当時、ニャイは読者が関心を寄せる文学 のモチーフになっていた。それどころか、「誰にもわかりやすくて蘭領東インドの言葉の 地位を得ていた」通俗的ムラユ語で書かれる物語の主人公に祭り上げられたのだ。 この種の文芸作品の嚆矢は1896年に出版されたGフランシスのニャイ・ダシマ物語だ った。この小説の大ヒットがニャイをテーマにする作品の続出を生んだ。しかしアルダン によれば、ニャイ・ダシマ物語のヒットこそが高貴であったニャイのイメージを逆転させ たのである。ニャイとは単なる囲われ妻、つまり妾であり、財とセックスに狂奔する品格 も信仰も持たないモラルの崩壊した女というものに。 < 回復への努力 > 1960年にアルダンはワルタブリタ紙に連載小説「ニャイ・ダシマ」を発表して回復の 努力を開始した。通俗的ムラユ語はインドネシア語に変えられた。文中の会話やモチーフ、 登場人物の性格描写にはブタウィ語が使われた。[ 続く ]