「風とangin」(2021年01月22日) 風化しかかった昆虫の死骸を見て、ふと思った。風化とはどういう意味なのだろうか? 辞書には「地表の岩石が、日射・空気・水・生物などの作用で、しだいに破壊されること。 また、その作用。」と記されている。しかし「化」という文字を従えた熟語を見ると、液 化・固化・気化・酸化・塩化・磁化・強化・弱化・軟化・硬化・激化・悪化・異化・開化 ・教化・羽化・緑化・電化・欧化・劇化・感化などのように、その種のもの、あるいはそ のような状態への変化を示しているように思われる。 では、風とはいったい何なのか?辞書に示されているのは「空気の運動(特に水平方向)」 だけだ。その運動の媒体を示す用法は現代日本語の中に存在しない。ところが英語ウィク ショナリーの「風」の項を見ると、なんと中国語も日本語もair(s), atmosphereが示され ているのである。にもかかわらず日本語ウィクショナリーの「風」の項に「空気」の語義 は見当たらない。 風化という言葉は「風」が空気の意味で使われているものではないかという考えが頭に浮 かんできた。というのも、日射・空気・水・生物などの作用で岩石や死骸から風が巻き起 こるという理解は現実離れしているように思われるからだ。それらの作用によって空気の ような物に変化すると解釈するのが正確なのではあるまいか。 もちろん、風というのは漢字であり、したがって漢民族文化の産物であるから、風という 漢字が内包している語義は中国語の風[フォン・ホン・ふう]が持つものと同じであって当 然だ。和語の「かぜ」が動きだけでなく空気そのものを含んでいたのかどうかというのは また別のことがらになるだろう。もちろん、「かぜ」が気体の運動という意味で「風」と 合致したために「かぜ」に「風」の文字が当てられ、「風」が内包していたバリエーショ ンとしての語義が「かぜ」のほうに移って来た可能性もあり得ない話ではないのだが。 「かぜだまり」という日本語が昔からあったのであれば、そこで使われている「かぜ」は 気体の運動でなくて気体そのものを指しているように思われる。運動は移動するものであ り、エネルギーとしてためることはできても、運動そのものはたまる(一カ所に蓄積され る)と運動でなくなるから、運動としてのかぜがたまることはありえないだろう。 KBBIに記されたインドネシア語のanginは第一語義が風で、第二語義は空気、第三語 義は屁となっている。自動車のタイヤに空気を入れることをban diisi anginと言うのは 風を送り込むのでなく、空気を注入することを表現している。 放屁をbuang anginと言うのは、腸内の気体を尻の穴から放出することを述べている。ヨ ーロッパ語はたいてい、風を屁の類語にしているようで、風に該当する各言語の単語は第 一義的に気体の運動を表し、次いで気体の語義が登場する。こうして見ると、現代日本語 はどうやら「風かぜ」の語義を運動面だけに絞り込み、気体そのものの意味を捨て去って しまったのではないかと思われ、特異な民族としての面目躍如という雰囲気を感じること になるのだが、この世界的に特異な民族は自らの特異さをあまり自覚していないようだ。