「伝説のジャワ虎(2)」(2021年01月26日)

1982年1月14日午前10時ごろ、中部ジャワ州クラテンの町にトラが出現した。町
中のラジオテレビ店「パラパ」の北側をゆうゆうと一頭のトラが徘徊している。外に出て
いる住民の間でパニックが起こった。恐怖と戦慄で我を忘れた民衆がてんでに駆けだし、
人間同士の激しい衝突さえ発生した。その騒ぎに惹かれて「なにごとか?」と何も知らな
い住民が集まって来たのはいいが、トラが原因だと知ってかれらも慌てて駆けだした。

現場に近い警察官詰所の警官がすぐに状況把握に乗り出し、そのトラはクラテンの町に来
て興行しているサーカス団「オリエンタルサーカス」のものであることが判明した。サー
カス団調教師が連れて来られ、この「トラが町へやってきた」の騒ぎも終了した。そのト
ラは檻から逃げ出したあと、クラテン市チュンパカ通りの住民ソアンダ氏の犬を食ってい
たことが判明した。この事件のおかげでサーカスの興行はきっと大入り満員になったこと
だろう。このニュースは1982年1月19日付けコンパス紙の第12面を飾った。


さて、このジャワ虎の最期はもっと最近のことだった。ジャワ島東端に位置するバニュワ
ギBanyuwangi県のメルブティリMeru Betiri国立公園で、1976年には3頭のジャワ虎
が棲息していると報告されていたが、その後トラの存在を証明するものが全く見つからな
くなった。1983年と1997年に行われた調査でも、何も発見されていない。

メルブティリ国立公園管理館は2007年にトラのハビタットに監視カメラを設置して監
視活動を続けているが、トラの姿がカメラに入ったことは一度もない。調査員が公園内の
探査を行ったとき、地元民の中にトラを見たと言う者が現れたものの、その話を実証でき
るものが何もない。足跡や爪痕が見つかっても、ヒョウなどのトラより小型の野獣のもの
ばかりだ。IUCNの定義によれば、20年間その動物の存在を立証できるサインがまっ
たく見つからないときに、絶滅したと言うことができる。


中部ジャワ州スラムッSelamet山で1979年にトラが3頭いることが報告された。スハ
ルト大統領は俄然ジャワ虎の保護を叫んだ。ところが検討した末に、5千人の農園労働者
の居所と職場を山から離れた場所に移さなければならないという結論が出て、たった3頭
のトラのために不釣り合いな経済負担が国家経済に生じることを嫌った政界経済界が猛反
対し、大統領の叫びはこだまも生まずに真空の中に吸い込まれて行った。スラムッ山から
もトラの姿が消えた。

こうして1980年代に政府はジャワ虎絶滅の公式宣言を出した。だがジャワ島の中に
「ジャワ虎はまだ生きている」という信念が消えることなくいまだに漂っているのである。
宣言後も、民衆からの「トラを見た。」「トラの足跡だ。」「トラの糞だ。」「トラの爪
痕だ。」という届け出は絶えたことがない。トラの足跡や糞と言っているものを専門家が
調べると、ヒョウもしくは他の動物のものという判定が下される。[ 続く ]