「語源論」(2021年01月29日)

ライター: 文司、ジャカルタ在住、レミ・シラド
ソース: 2003年5月31日付けコンパス紙 "Dari Olanda sampai Belanda"

インドネシア人はEnglishをInggris、FrancaiseをPerancisと言う。現在の標準語となっ
ているオランダの呼称、Belandaの由来はどうなっているのだろうか?

Belandaはorang Nederlandを意味するHollandiaあるいはHollanderから来ている。最初、
ラテン文字が入って来る前にインドネシアで使われていたアラブグンドゥルArab gundul
文字でそれはOlandaと書かれた。ところがアラブ文字で[o]の音を示すwawの字はラテン文
字の/o/、/u/、/w/に相当する。そのために、Olandaと書かれたものがWalandaと読まれる
ようになった。さらに加えて、watu→batu、wulan→bulan、wayang→bayang、wihara→
biara、wuwungan→bumbunganなどの例が示す通り、現代インドネシア語にw→bの変化が起
こったためにWalandaはBelandaになってしまった。

インドネシア語へのオランダ語の影響は小さくない。美しいものから腐ったものまで、オ
ランダ語の名残をとどめずにインドネシア語になってしまったものはたくさんある。臭い
ものはkakusだ。kak huisはrumah berakである。BH(beha)はbustehouderで文字通りの意
味はpemegang susuになる。emberはemmerであり、onderdilはonderdeelつまりbagian-
bagian bawahになる。

ヴィレム・ヒートブリンクとロナルド・ランゲンデイクが書いた「言語でゆらゆら」なる
書物のように、言葉をいじくるバクロニムにかけてオランダ語は確かにユニークな言語で
ある。ヨーロッパ語の中にオランダ語に由来している言葉がある、と著者は言う。インド
ネシア語に取り込まれているヨーロッパ語の中にも、その語源がオランダ語のものがある
のだと言うのである。

オランダ語というのは、全国からベルギーに至るまで使われている公用語の他に、北部の
州で使われているフリース語、南のブラバント州から東南のリンバーフ州に至る諸地方の
方言などを含んでいる。

西部にある州の名称であるHollandはhoal landまたはhaal landが語源だと著者は言う。
その意味はmengambil tanahであり、つまり海から海底の土地を居住地にするべく取った
のがその意味だ。インドネシア語のakorはaccordに由来しているが、それは元来オランダ
語のhou ik woord、つまりaku pegang kataが語源である。インドネシア語kiosはkioskか
ら来ているが、元々はkiek hoskeで、それは地方の方言であり該当する公用オランダ語に
言い換えるとkijk huije、つまりmelihat rumah kecilとなる。

maskapaiはオランダ語のmaatschappijそのままだが、語源はmee te scheppenであり、そ
の意味はikut ambil bagianなのだ。tradisiはオランダ語traditieの丸呑みで、語源は
trouw diets zijnつまりsetia pada yang iniだ。kadoはcadeauまたはadeuatjeから来て
いるが、これはik doe het jeでaku buat untukmuを意味し、そのオランダ語を早口で言
えばカド―と聞こえる。

インドネシア語garasiの語源になったフランス語のgarageはオランダ語のkarhuisjeがそ
の語源だと言う。意味はrumah kecil untuk kendaraanだ。生誕を意味するフランス語
natalはそのままインドネシア語になっている。これはオランダ語のnaakt alが語源で、
意味はsudah telanjangつまり赤ん坊が丸裸で生まれて来たということだそうだ。

オランダ語がたくさんインドネシア語の語彙に入ったが、逆のケースもないわけでない。
オランダ全土でだれもが知っているオランダ語化したインドネシア語の中に食べ物の名称
がたくさん見られる。nasi goreng、sate ajam、gado-gado、kroepoek、中国由来のイン
ドネシア料理bamie、loempia、tjap tjoyなどもある。

オランダ語の語彙の語源を調べたデ・フリース著の「われわれの言葉の由来は?」なる書
物にberi-beriという言葉が見つかる。デ・フリースはその語がセイロンで1646年に
取り込まれたと述べている。セイロンはまずオランダが所有したが、イギリスが手に入れ
たブンクルBengkuluと交換されてイギリスの手に渡った。その領地交換とberi-beriとは
関係がない。