「ムルデカ(2)」(2021年02月04日)

ポルトガル人が大航海時代の幕を開いてからついにアジアにまで進出して来たころ、ポル
トガル人の奴隷にされて使われ、協力したアフリカやインドの原住民がいた。かれらはヨ
ーロッパ人キリスト教徒からMoors(英語・オランダ語の発音はモーアズ、スペイン語・
ポルトガル語はモールス、インドネシア語はモール)と呼ばれた。

このモールという言葉は最初、イベリア半島〜北アフリカのマグレブ地方〜シシリー島〜
マルタ島に定住していたムスリムを指していた。それが拡大されてムスリム一般の呼称と
なり、インドやセイロンや、はてはフィリピンに至るまでヨーロッパ人はムスリムをモー
ルと呼んだ。だからときどきモール人という表現が出現するのだが、特定の人種・民族を
指しているわけではない。フィリピン南部のイスラム社会でモロMoroという名称が時折顔
を覗かせることがあるのは、どうやらそれが、スペイン人がかれらをモールスと呼んだ名
残であるらしい。


ポルトガル人がインドに進出して1510年にゴアを奪い取って以来、インドの拠点にお
ける諸活動にアフリカから奴隷が送り込まれてきたが、インドでも奴隷を入手して使った。
奴隷にされたのは基本的に非キリスト教徒だったようで、つまりはモールが奴隷にされる
のが普通だったのだろう。もちろん偶像崇拝教徒も奴隷にされているが、逆に偶像崇拝教
徒もモールのカテゴリーに含められてしまうことさえ起こった。

ポルトガル人はカトリック教の繁栄と隆盛を使命に担いで、暗黒の世界をカトリックの光
で照らそうとアフリカ・アジアに向かったのだから、奴隷モールたちをカトリックに改宗
・入信させることにも尽力した。カトリック教徒になれば奴隷身分から解放されるという
システムが行われて、解放奴隷はマルディカと呼ばれた。奴隷身分から解放されることを
繁栄と呼ぶのは、気分的に何となくわかるような気がする。

1511年にマラッカを奪ったポルトガル人は、マラッカでの諸活動の下働きにインドか
らインド人奴隷とポルトガル文化をしみ込ませたインド人マルディカを送り込んだ。16
41年にオランダVOCがポルトガルを打破してマラッカを陥落させると、1619年以
来VOCのアジアにおける諸活動の中心地になっていたバタヴィアの都市建設と運営のた
めの下働きとして、マラッカに住んでいたインド人奴隷とマルディカの子孫、およびポル
トガル人とアジア人の混血子孫たちを奴隷としてバタヴィアに移住させた。

そのオランダ人の奴隷になったかれらに対して、オランダ人はポルトガル人が行ったのと
同じことをした。プロテスタントに改宗・入信すれば、奴隷身分から解放するのである。
オランダ人は解放奴隷をマーダイカーと呼んだ。

だから蘭領東インドにできたマーダイカー階層とは、ポルトガル文化とアジア文化の折衷
物を生活の基盤に置き、宗教はプロテスタントだが社会生活における立居振舞はオランダ
人の文明観からほど遠い野蛮人という烙印を捺された人々だったのである。礼節を弁えず、
自由気ままにふるまう粗野で他人への気遣いを知らない野放図な人間という語感がマーダ
イカーの語に沁み込んで行ったことは大いに想像できる。

この辺りまで来ると、現代インドネシア語のmerdekaの語義に近付いてくるようにわたし
には思われるのだが、どうだろうか。他人に対して下手に出ないことは、独立独歩の人間
が示す姿に似通っていると言えないこともあるまい。[ 続く ]