「ムルデカ(3)」(2021年02月05日)

バタヴィアのマーダイカーコミュニティは今の北ジャカルタ市トゥグTugu地区に作られた
カンプントゥグKampung Tuguだ。VOCに捕らえられたポルトガル兵が16世紀にそこを
開拓してコミュニティを作ったと言われている。かれらポルトガル兵は黒いポルトガル人
Portugis Hitamとプリブミから呼ばれた。つまり、ポルトガル兵という呼称で呼ばれてい
るものの、人種としてのポルトガル人ではなく、インド人奴隷を発端にするマルディカが
ポルトガル軍の兵士になり、VOCに敗れてオランダ人の奴隷になって、更に再度マーダ
イカーになるという道を歩んだことを黒いポルトガル人という言葉が示しているように思
われる。

現代ジャカルタのトゥグ地区にはクイーコQuikoをはじめとするポルトガル系の姓を持つ
ひとびとがまだ住んでいる。インドネシア共和国独立後もしばらくの間はポルトガル語の
俗化したクレオール語がトゥグ地区の共通語だった。だが今ではインドネシア語が完全に
クレオール語に取って代わり、クレオール語が話せる老人もほとんどいなくなってしまっ
たそうだ。

そのカンプントゥグはクロンチョンkerongcong音楽の元締めとされている。最初にできた
クロンチョンバンドはOrkes keroncong Moresco Toegoeで、1925年にヨセフ・クイー
コがリーダーになって結成した。その元締めも、世代交代のためにクロンチョンバンドが
いなくなった時期があった。それを惜しんだひとびとが若い世代を募って復活させたとい
う話だ。

クロンチョンの名曲のひとつにクロンチョンモリツコMoritskoという曲がある。ただし、
この言葉はMoresco、Moresko、Moretsko、Mouriscoなどとさまざまに綴られて一定してい
ない。1933年に作られたこの曲のタイトルであるモリツコあるいはモレスコという言
葉はマーダイカーの先祖であるモールに関係しているのだという説があるのだが、歌詞を
読む限り、そのような内容を想像させてくれるヒントは見つからない。歌詞は次の通りだ。

jikalau tuan mendengarkan ini
harapan supaya
senang di hati ...

oooo ...
memetik gitar sambil bernyanyi
membikin pendengar gembira di hati

oooo keroncong moritsko
aku dendangkan , aduh sayang
agar hati rindu menjadilah senang

コンパス紙インターネットサイトKompasianaに2013年に掲載された記事を読むと、モ
リツコとはモリスコMoriscoを指しているのではないかという説が述べられている。イベ
リア半島に15世紀から、そして全ヨーロッパに17世紀ごろまで、モリスコと呼ばれる
ひとびとがいたという話だ。Moriscosは元来スペイン語であり、英語も同じ綴りを借用し
ている。ポルトガル語はmouriscosと綴られる。クロンチョンモリツコはこのポルトガル
語から取られたものなのだろうか。[ 続く ]