「クロンチョンとダンドウッ(1)」(2021年02月09日)

ライター: 音楽・演劇・詩・散文・造形・映画など多能芸術家、ヤピ・タンバヨン
ソース: 2000年1月1日付けコンパス紙 "Keroncong, Dangdut, Prejudis, 
Kekuasaan"

ここで述べようとしているのは、常に権力者の好みや限界あるいは政治思想による価値付
けによって干渉され続けて来た、西と東の文化的結び付きとしてのインドネシア音楽発展
史である。一方、確固たる民族文化樹立への憧れに駆られたモダン芸術への指向を導くそ
の結び付きの裏側には元来、この国を支配した西洋民族の長い歴史の中に展開された自然
なプロセスがあった。

しかし現実に西と東の差異はまた、政治ツールのもっとも劇的な、植民地支配への反抗・
扇動・アジテーション・情熱を掻き立てるパトスにもなった。そして不幸にも、植民地支
配という言葉が常に、敬虔派的宣教活動の特徴に重点を置く過去の世紀のキリスト教宗教
活動への誤った関連付けの痛ましい記憶から免れることもなかった。そこでは、真理への
ひとつの道を信じる個人の決定に対する安全の意味が傲岸な西洋的性格に彩られ、一個人
の精神的完璧さの原理が精神上で西洋的になることだけに置かれたのである。

その種の証拠はインドネシア東部地方のマナドやアンボンで行われた19世紀の宣教活動
に明白に表れている。一方のインドネシア西部地方では同じ世紀の初期に、アラブの地で
起こったワハブ派運動に倣うペディールからボンジョルに至る三人のハジによってなされ
たイスラム純化原理の進展が起こった。教義に背いて暮らしの中で行われている麻薬や飲
酒その他の背徳行為といった悪徳の撲滅である。そのふたつの要素が19世紀末のクロン
チョンkeroncong音楽の存在に大きな意味を投げかける影響力を作り出した。その時期、
クロンチョン音楽者たちはmoritskuやmoritskoという謎言葉を標準的に用いていた。

モリツクやモリツコというのは15世紀にポルトガルやスペインで盛んになったモール人
の舞踊リズムmorescaに由来しており、16世紀にそれはオランダでも知られるようにな
った。モレスカという言葉の裏には怖ろしいほどに研ぎ澄まされた宗教感情が込められて
いることを現代クロンチョン音楽者たちはもう忘れてしまっているだろうし、気にも留め
ないだろう。このリズムにはふたりの剣士による剣舞が描き出されているのだ。ひとりは
イスラム教徒、もうひとりはキリスト教徒で、それぞれが自分の信仰を死守しようとして
決闘するのである。その舞を催した者がそのどちらを勝たせるかを決めているのは、想像
にあまりあることがらだ。

だからクロンチョンモレスカが偏見をその軸に置いていることは言うまでもなく、その結
果、害をもたらすものだという根拠に使われることになった。ましてや、クロンチョンは
その当時Tanah Seraniと呼ばれた現在のジャカルタ北部にあるトゥグTugu地区で生まれた
ことを忘れてはならない。そこはカトリック教徒ポルトガル奴隷がプロテスタントに移る
ことで奴隷から解放されたマーダイカーコミュニティの中心地なのである。トゥグコミュ
ニティがポルトガル人の子孫であるというクロンチョン研究家たちの結論は正しくない。
かれらはゴアやマラッカを出自とするアジア人だったのであり、ポルトガル人が彼らを奴
隷にし、そしてカトリック教徒に変えたというのが真実だ。そしてオランダがかれらを自
由人にしたとき、かれらは元の主人だったポルトガル人のファミリーネームを使うように
なったのである。


オランダはそのトゥグコミュニティを管理して排他的な所属集団にし、結果的にその外に
置かれた社会からのかれらに対する妬視と反感を招いた。日本軍政期にフィサビリラを名
乗るタンジュンプリオッからやってきた正体不明の集団がトゥグコミュニティを襲撃し、
住民を殺りくしてまわった事件の裏にはそれがある。

1920年代にLief Indieオーケストラの著名バイオリニストでクロンチョントゥグ楽団
を強化した経歴を持つエディ・ウォッシュは、都庁文化局が主催したブタウィ伝統芸能保
存プロジェクトの民族音楽調査スタッフを務めていた筆者に次のように語った。「トゥグ
の虐殺事件はトゥグコミュニティが奉じている宗教に対する怒りの感情に加えて、クロン
チョン音楽者に与えられたbuaya keroncongという俗称がもたらしているイメージのため
に、かれらの文化産物であるクロンチョンが倫理を損なう極端に世俗的なものと解釈され、
それが生み出したネガティブな感情がそこに入り混じって起こったものだった。」

明らかにそこには個々に独立したふたつの感情がある。ひとつは、オランダが育てた排他
的キリスト教がクロンチョンとブアヤクロンチョンを作り出したというもの。もうひとつ
は、クロンチョンそれ自体がイスラムの社会倫理を打ち壊すキリスト教の産物だというも
のだ。[ 続く ]