「恐怖のフロンテイアー(終)」(2021年02月26日)

ボームハーツは人間がトラの犠牲者になったエピソードを、1633〜1687年間で3
0話、1812〜1869年で40話収録した。人数としては、1624年にバタヴィア
周辺で60人がトラに殺された。トラによる死者の最高記録は1820年のランプンで、
675人となっている。1850年代以降の数字を比較するなら、スマトラ島でのトラに
よる死者数はジャワ島に比べてはるかに大きくなっている。住民人口比較ではジャワ島の
方が圧倒的に大きいというのに。

それについて、いくつかの仮説が立てられるだろう。まずはトラが餌食にできる動物の減
少だ。このケースでは、雌トラは子供に食べさせるためにしばしば人間を襲う。他の獲物
が得られないのだから、選択の余地はないのである。二つ目は、人間を襲撃対象にした場
合、相手から必死の反撃をくらうリスクが小さいということが挙げられる。

インドのサンダバン地方でのマンイーター研究で、トラの飲み水の塩度が人間を餌食にす
る行動に関係していることが示された。塩度が高めになると、トラは人間の肉への嗜好が
高まるのだそうだ。パレンバンでは、1854年にトラに襲われて死んだ人間の数が突出
した。もちろん、ランプンをしのぐには至らなかったのだが。そして、その年、パレンバ
ンの水は汽水の傾向が高まっていたことが明らかになっている。

< トラを永続させる >
インドネシアは言うに及ばず、東南アジアのトラに関する著作のほとんどは、トラの実態
と史的変遷に焦点が当てられている。トラと人間の関係についての解説はまだまだ少なく、
おかげでボームハーツの著作はわが国のトラがどうして悲劇的な絶滅の道をたどることに
なったのかについてのヒントをわれわれに与えてくれる。

その結果、インドネシアよりはるかに人口の大きいインドでトラがどうして永続できてい
るのかということをわれわれは自問することになる。そこには真剣な保護努力が重ねられ
ていて、レワの白トラをはじめとするトラの輸出さえ行われているのである。一方、イン
ドネシア民族は持っているものをすべて無くしてしまいたいように見える。根本的な人生
哲学の違いがインドネシア民族のトラ存続の努力を不可能にしているのだろうか。

既に頭数が減ってしまったとはいえ、スマトラにはまだトラがいる。ではあっても、スマ
トラ島南部地方では加速度的な減少になっている。その理由は他でもなく、ジャカルタへ
トラ肉を送るネットワークがそこにあったからだ。1990年代初期まで、ジャカルタの
いくつかのレストランでトラ肉が食されていたのだ。スハルトレジームが幕を閉じる前、
高級軍人や著名人が自宅にトラを飼い、またトラ狩りを好んで行った。狩った獲物はトロ
フィとして飾り、保護動物を狙撃できる能力を誇りにした。

ボームハーツの労作はたいへんに優れているのだが、生態学や生物学的実態描写のいずれ
にも読者のために付け加えておくべきことがらがある。学名のいくつかは、慣用的に使わ
れているものと異なっている。たとえば野牛をボームハーツはBos javanicusと表記して
いるが、慣用的に使われているのはBos sondaicusだ。

ジャワまでも引き合いに出してきた斑点豹や黒豹の分布に関する記述は、生物地理学を知
っている者には言わずもがなのことがらだ。かれらはマドゥラ島の東でバリ島の北にある
カゲアン島までその分布が及んでいる。ジャワ島北のバウェアン島やカリムンジャワ島に
は、その残党がまだ棲息しているかもしれない。

このヒョウの存在がジャワ虎をしてスマトラトラより大きい体躯になさしめた進化理論を
説明できるファクターになるかもしれない。ヒョウばかりか、ジャワ虎は競争相手として
野生犬の一種ドールanjing ajag(Cuon alpinus)まで持たされる破目になったのだ。

しかし歴史学者で経済学者でもある人間の眼から見たボームハーツの著作はそれらの諸点
を乗り越えて、東南アジアにおけるトラと人間社会を理解するための特別の価値を持って
いる。東南アジアの各地にいるそれぞれのトラ、更にはインド・イラン・中国・シベリア
などの種々のトラに関する記述は各地域で異なる生物進化が起こったことを示している。

それどころかスマトラトラは他の亜種たちと異なる進化レベルにあるというジョエル・ク
ラクラフトの仮説が正しいとするなら、このトラという動物にマクロ進化が起こったこと
をそれは意味しているととらえることさえできるのである。

読者が更に、既に発表されているさまざまな地域に棲息するトラの形態学あるいは個体発
生学また生態学などの諸面に関する先賢たちの著作を読み比べて見るなら、トラに関する
理解は大きく膨れ上がって行くに違いあるまい。[ 完 ]