「ダンドゥッの系図(5)」(2021年03月12日)

これは音楽が社会現象であることを如実に示すものだ。音楽に娯楽や慰安を求めるひとび
とと、ガンブスが旧来から背景として持っていた宗教的な様式から離れることが宗教的意
味合いを薄めることになると考えるひとびとの原則に関わる相克がこの分裂を起こしたよ
うに思われる。とは言っても、進歩派も相変わらずイスラムの宗教的原理や様式の中にい
て、われわれの目から見るなら、目くじら立てるほどの原理原則の変化が見られるわけで
もないのだが。


ジャカルタでは、プコジャンで1947年にフセイン・アイディッがガンブス楽団アルシ
シャアグAl Usysyaagを率いて登場し、大衆の人気を集めた。この楽団はアラブ音楽だけ
でなくムラユ音楽もレパートリーに加えてプロの道を驀進し、1950年代になってから
ムラユ楽団に変身してオルケスムラユクナ~ガンと名を変えた。

ガンブス楽団からムラユ楽団を経て1970年代にダンドゥッが新ジャンルとして音楽界
に台頭してきたその長い流れを通して、且つまた、もっと古い時代にガンブス音楽がムラ
ユ音楽に与えた影響を通して、ガンブスがダンドゥッに結実したのである、というのがガ
ンブスのダンドゥッ出産説のようだ。フセイン・アイディッの楽団がガンブス→ムラユ→
ダンドゥッという変遷を身をもって体現したことも、その印象を強める結果をもたらした
可能性は高い。

1970年代になると、ジャカルタに加えてチルボン、トゥガル、インドラマユ、マカッ
サル、ゴロンタロ、パレンバンなどにガンブス楽団が輩出した。さらにエジプト映画が人
気を呼んで映画の中で歌われる曲もヒットした。ウンミ・カルソウムUmmi Kalsoum、アブ
ドゥル・ワハブAbdul Wahab、ファリッ・アラトラスFarid Al-Atrasたちエジプトの俳優
歌手にもファンが付いた。


昔、ガンブス演奏は伝統的様式のまま行われるのが普通で、楽団や踊り手はガミスを着た
男性ばかりであり、観客が飛び入りで踊る場合も男性しか人目を浴びる場所に出て来なか
った。楽団が衣装や楽器で発出させる雰囲気が伝統的なものであることで古来からの宗教
性が維持されるという観念に対して、進歩派がその様式をモダン化することで時代に応じ
た革新を呼びかけたというのがガンブス楽団の潮流分裂の本質だろう。

進歩派楽団にしても、スーツを着て椅子に座り、折り目正しく控えめで慎ましやかな姿勢
を崩さない。音楽もキーボード、エレキギター、エレキベース、ドラムなどが加わったが、
西洋音階の音から四分の一音高いアラブ音楽特有のシカも守られている。ソフトなダンド
ゥッビートを加えてノリを高め、歌手は軽いステップでゴヤンするようなものが進歩派ガ
ンブス楽団のスタイルになった。この進歩派ガンブス音楽では、女性歌手が歌うこともあ
れば、楽団の前に女性観客が飛び入りして踊ることすら起こるようになり、ついにはジャ
カルタでソラヤ率いる女性ガンブス楽団まで誕生している。

結婚パーティや祝祭も、主催者が進歩派か守旧派かで彩りががらりと変わるものになった。
ところが、そこに招かれて演奏しているのがどちらもガンブス楽団だと言われると、事情
を知らない人間は目をパチクリすることになるのである。

2000年1月にジャカルタのTIMでコンサートを開いた東ジャワ州ジュンブルのガン
ブス楽団バラシッのステージには、アラブ系の青年男女が詰めかけて賑わった。青年でな
いひとびとも加えて、観客の99%がアラブ系だったとそのときの記事は述べている。

そのときに多数の関係者が驚いたのは、普段からおとなしく影に隠れて人前で目立つ振舞
いをしないイメージが濃厚だったアラブ系の娘たちが、招かれたふたりのゲスト歌手がエ
ジプトのスタンダードヒット曲ハビビヤヌルルアインを歌い出すと、その場で身体をゴヤ
ンさせながら手拍子を取り、大声で一緒に唄い、ヒステリックな叫び声をあげ、ジョゲッ
に我を忘れる姿を目にしたことだった。[ 続く ]