「1970年代の青春革命(2)」(2021年03月18日)

70年代の若者たちの生活はさまざまな色彩を帯びていた。生バンドが家々を巡るぺスタ
ダヤッが流行し、そしてジャカルタの至る所にギャングを名乗る青年グループが登場した。
Legos、 Sartana、Bearland、Siliwangi、Medisaなどが名前の知られた青年ギャングたち
だった。それらの名称の中には、意味を持たせた略語も混じっている。Sartanaというの
はSarinah Tanah Abangであり、MedisaはMeleng Dikit Sabetだそうだ。

ギャンググループたちは何をしていたのか?パーティを開き、バンド演奏をし、街中レー
スを行い、ラジオ放送局を作り、女の子の取り合いを競った。今の時代の若者たちとそれ
ほど違っているわけではない。ただ、昔の者は行動がもっとスポーティブであり、フェア
でヒロイックな姿勢を重んじた。今の連中は集団でぶつかったり、リンチしたりする傾向
が高い、とかれら70年代の若者世代は見ている。

BearlandやSiliwangiとの付き合いも深かったトノは、当時は女の子たちも男に負けてい
なかったと昔を懐古する。Degradaxという名の女ギャングができて、街中で行うカーレー
スを得意とした。トヨタハードトップやフィアット1300で、路上で高速のジグザグ走
行を競うのだ。


70年代の若者たちは音楽に強く惹かれた。バンドを作り、コンサートを行った。バンド
メンバーはスターになり、女の子を含めた大勢のファンがひとりひとりを取り巻いた。バ
ンドをやってるということがかれに輝きを与えたのである。

Rollies、Giant Step、Freedom Of Rhapsodia、Gang Of Harry Rusliその他さまざまなバ
ンドがバンドンに輩出した。たいていはロック音楽をその旗印にした。多分、若者の暴れ
出しそうな精神の受け皿として自由のシンボル的なロック音楽がかれらの心をとらえたか
らだろう。

ジャカルタではGypsy、Bigman Robinson、Fancy、Ireka、Rhadows、Rasela、Hookerman、
Cockpit、The Lord Ayodya、The Pro's、God Blessやその他たくさんのバンドが生まれた。
邸宅で開かれるパーティの他に、繁華街にできたミニディスコから、タマンイスマイルマ
ルズキにまでかれらは出演した。

諸都市に誕生した若者のバンドはたいてい、ローリングストーンズ、ジミー・ヘンドリッ
ク、エクスペリエンス、グランドファンクレイルロード、レッドツェッペリン、ディ―プ
パープルなど世界のトップバンドの曲をレパートリーにした。かれらはどこで楽譜を手に
入れたのだろうか?かれらのレパートリーの源泉は、まず間違いなくレコード盤だった。

海外へ出かけた者が土産に持ち帰るレコード盤がレパートリーの源泉になった。そうでな
ければ、パサルバルで売られている輸入レコード盤を買うのがあまり選択肢のない行動の
ひとつだった。パサルバルにはToko Eropah、Combinatie、Sinar Jayaなど外国製レコー
ド盤を販売している店があった。バンド青年たちはよくそれらの店にやってきた。その時
代、レコード盤は一枚1〜2千ルピアだったが、当時の物価としては決して安いものとは
言えなかった。1971年のルピア対米ドル固定相場は415ルピアで、それが1978
年まで続いた。

その当時、レコード盤からカセットテープにダビングする注文を受ける商売があった。そ
のカセットテープのラベルに曲目がタイプで打たれたので、このカセットテープはkaset 
ketikanと呼ばれた。バンドンではプラパタンリマPrapatan Limaに近いブンスBungsu通り
にその店があった。ジャカルタでダビングコピーカセットが欲しい者はロカサリLokasari
に集まって来た。[ 続く ]