「1970年代の青春革命(終)」(2021年03月22日)

その二年後、ジャカルタでふたたび大コンサートが挙行された。1975年12月4・5
日、ディープパープルを招いたコンサートが開催されたのである。そのコンサートは二日
間でおよそ10万人の観客を動員した。ところが残念なことに、観客がコンサートの最中
に暴れ出したのだ。フーリガン型の暴動だった。

プロモーターと組んでこのコンサートを催した雑誌Aktuilの記者だったデニー・サクリは、
音楽を楽しんでいるさ中に観客が暴れるなどということはまったくの想定外だった、と述
懐している。観客があふれんばかりだったにもかかわらず、その興業は結局赤字になった。
大勢の観客が入場券を買わずに会場内に押し入ってきたためだ。

あれから27年後、ディ―プパープルがふたたびジャカルタに立ち寄った。昔のブームが、
あの熱気が、再現されただろうか?その印象は感じられない。27年前の青年たちがノス
タルジーを懐古する場になってしまった印象の方がはるかに強い。


外国のスーパースターがやってくることがもはやまったく珍しくないものになったこの時
代に、あの時代にあった憧れへの熱気を期待するのは無理なのだろう。1970年代の若
者たちが持った精神は、グローバリゼーション時代の若者たちが持つ精神と似ても似つか
ないものであるにちがいあるまい。音楽やライフスタイルの情報は自ら探しに行かなけれ
ば手に入らなかった時代に、時代の動向に追随しようとする若者たちは雑誌アクトゥイル
をむさぼり読んだ。今、外国からの情報は怒涛のように流入してきており、インドネシア
文化というフィルターをかけて適切なものをより分けるような余裕など、求めることすら
できなくなっている。

世界の最新情報が続々と入って来るファシリティに恵まれた現代の若者たちは、そうでな
かった時代の若者たちが培った創造性を果たして受け継いでいるのだろうか。われわれが
真剣に考えなければならないのはその問題なのである。

昔、70年代の若者たちはあらゆる面で貧しく限られた世界の中に自らの創造性を磨き上
げて、それを豊かなものにしようと努めた。かかとの高い靴や舞台で使うドライアイスも
どきを作り出したことなど、その例には事欠かない。今、あり余るほどの情報が向こうか
らやってくる時代に生きる若者たちの青春に、革命は起こりうるのだろうか?[ 完 ]