「アモックは民族性じゃない」(2021年03月22日)

ライター: 歴史オブザーバー、クサラ・スバギオ・トゥル
ソース: 2003年7月5日付けコンパス紙 "Kata Amuk Perlu Direvisi"

多くのヨーロッパ語はアモックamokという単語を知っており、辞書や百科事典に採録して
いる。オランダ語ではamok makenをmengamuk、amokmakerをpengamukに対置させている。
英語の場合はrun (go) amokがmengamukを意味している。インドネシア語はアムッamukが
標準語形であり、その語義はmenyerang dengan membabi buta karena marahやmata gelap
などとなっている。

それらのヨーロッパ語はインドネシア語でなくてムラユ語から採られたものだが、その語
源はジャワ語、更には古ジャワ語につながっていて、本来の語義はmenyerangどころか、
membunuh tanpa pandang bulu, kadang-kadang tanpa alasan sama sekali, bisa jadi 
karena candu atau malariaとされるべきものだ。

東インド図解百科事典Geillustreerde Encyclopaedia van Nederlandsch-Indieには、そ
の行為者はinlanderであると書かれている。オランダ人がインランダーと呼んだのは紛れ
もなく東インドのプリブミ、つまりインドネシア人のことだ。

有名なファン・ダーレvan Daleの大辞典はインランダーの定義をinheemse bewoners van 
Indonesie(インドネシア原住民)と明確に記している。つまりアモックするのはインド
ネシア人であるとオランダ人は言っているのだが、一方、イギリス人や米国人はフィリピ
ン人もそうだと言っている。

最近インドネシアで、アモックの実例がたくさん見受けられるようになった。スリが捕ま
ると、大勢の者がよってたかってリンチする。排水溝の中に逃げ込んだひったくりを追っ
たひとびとは、そこにガソリンを流し込んで火をつける。それらのケースでは、mengamuk
の行為者は集団なのである。これはひとりの人間が暴れる個人型mengamukの発展形態と言
えよう。個人意識semangat individualの反意語としてプラムディア・アナンタ・トゥル
はそれをネガティブに、群集心理semangat kelompokと呼んだ。


多分、植民地時代・革命期・現代の体験を鑑みてのことだろうが、2003年6月25日
にオランダ戦時資料研究所はアムステルダムで「インドネシアの暴力と混乱に満ちた独立、
1945〜46年」と題するコンファランスを催した。それらの時代を覆った暴力の原因
を問うのがその意図だったようだ。議論の重点は個人的体験やジャワと外島の各地で起こ
ったそれぞれのできごとに置かれた。出現した暴力行動の個人的・集団的動機が議論され
たのである。

コンファランスを開くことは何の問題もない。また、ある時代にインドネシア人(の一部)
がmengamukしたできごとを話し合うのも、何も悪いことではない。ましてや、その犠牲に
なったひとびとがそれを語るにおいておや。

ただ、そこに疑問が湧くのは、暴力とはインドネシア人だけのものなのか、ということだ。

3千年という歴史の中で、世界に戦争の絶えたことがなかったのは人類史が示している通
りである。ロシア人はVoina kak na voinye.とそれを言った。一部の人間が大砲の犠牲に
なり、他の一部の人間が大砲の導火線に火を点じるのである。そこには、mengamukしない
個人・集団・民族は存在しないのだ。

そのコンファランスで論じられた時代に、戦場の処刑人の異名を取ったレイモン・ヴェス
タリングRaymond P Westerling大尉の部隊がインドネシアで一大アモックを演じている。
1946年12月7日、ファン・デン・ムレンvan der Meulen中尉とともにかれは、そこ
に過激派が潜伏しているという理由でマカッサルのママジャン部落の家々を焼き尽くした。

炎に煽られて逃げ散ろうとした住民を、まるで狂犬でもあるかのように撃ち殺した。その
三日後、かれはゴア地方の三つの部落の住民をバトゥア部落に追いやった。

男と女は別々にされ、中の数人が引きずり出されて、ゲリラに協力している者を指さすよ
う命じられた。銃口を向けられて生命を脅かされた住民は、助かりたい一心で適当に部落
民を指さした。すると男たちは一列に並ばされ、機関銃の掃射を浴びせかけられたのであ
る。一週間のうちにヴェスタリング大尉は南スラウェシで4千人もの戦果を挙げた。

オランダの報道機関はその行動を鋭く批判した。ドゥフルネアムステルダマー紙とフレイ
ネーデルランツ紙はヴェスタリングに対する法的措置を執れと要求した。1948年半ば、
ヴェスタリングは軍籍をはく奪された。

このような例はインドネシアとヨーロッパの関係史における、浜の真砂の一粒でしかない。
だからヨーロッパの諸語に知られたアモックという単語は、それがインドネシア人だけの
ものでもなければフィリピン人だけのものでもないという意味において、訂正されるべき
ものなのである。ヨーロッパやアメリカで、冷血な人間が女性や学校生徒を殺害する事件
が起きるのをわれわれが耳にすることも稀ではないのだから。