「ロカナンタ」(2021年03月26日)

1956年10月、政府はソロに国営会社を興した。会社の名前はロカナンタLokananta
とされた。最初に付けられた名称はレコード制作工房Pabrik Piringan Hitamを冠するも
のだったが、オランダ時代のラジオ局NIROM(Nederlandsch-Indische Radio Omroep 
Maatschappij)を接収して作ったインドネシア共和国国営ラジオ放送局RRIの放送素材
を用意することが最初のロカナンタの使命だった。だからロカナンタ社の保存資料の中に
は、スカルノ大統領の演説を収めたレコード盤も残されている。

ロカナンタはインドネシア共和国最初のレコーディング会社だ。1958年からレコード
盤の製作販売が開始され、RRIを通して一般販売された。1961年には事業方針が地
方音楽と民族芸能のレコード制作に向けられ、また書籍雑誌の出版も行うようになる。そ
れに合わせて冠称は国営会社ロカナンタに変化した。

1962年のアジア大会では、ロカナンタが制作したRasa Sayangeをはじめとする一連の
地方歌曲を集めたレコード盤が参加各国代表にプレゼントされている。1972年、同社
は録音媒体をレコード盤からカセットテープに変えた。70年代80年代の大衆ヒット歌
謡隆盛期には、他のカセットレーベルに伍して人気歌手の歌うヒット曲カセットテープを
たくさん市場に送り出している。そのころ、ガムラン音楽のカセットテープを探すと、た
いていがロカナンタ制作のものだった。

1983年にはビデオ方式の録画媒体の制作をも手掛けた。1985年に広さ14x31
メートルの新しい録音スタジオが完成した。最新設備を調えたロカナンタの録音スタジオ
はいまだにインドネシア最大の規模を誇っている。


2004年に同社はそれまでの情報省の傘下事業体から国有印刷会社Perum Percetakan 
Negaraに移管され、現在は国有印刷会社スラカルタ支店のポジションに置かれていて、同
社の事業内容は録音スタジオレンタル、オーディオ媒体(カセット・CD)ダビング、放
送、印刷・出版の四本柱で行われている。

ロカナンタの保存資料は実に豊富で、全国の地方音楽、古い時代のポピュラーソングなど
がたくさんあり、クロンチョン曲も多い。レコード盤は自社製他社製合わせて5万3千種、
同社のマスター録音原盤は5,670件ある。その中にはスカルノ大統領の演説、独立宣
言の音声、そしてまた、ヨセフ・クレバーの編曲でインドネシアラヤの三番までの歌詞が
唄われたインドネシア国歌のはじめての録音盤など貴重なものもある。

中でもガムラン音楽はジャワのスラカルタとヨグヤカルタのもの、バリ、スンダ、北スマ
トラなど地方色の濃いものが揃えられ、また地方歌謡や民謡も全国に渡って集められてい
る。

グサン、ワルジナ、ティティ・プスパ、ビン・スラムッ、ブビ・チェン、サム・サイムン
たち往年のスター歌手や演奏家たちの録音原盤も充実している。その中には、ロカナンタ
が生み出したスターも混じっている。


ロカナンタの古い資料の再マスター化が2007年から行われて、古い原盤からデジタル
録音に移し替える作業に5年ほどの歳月がかけられた。2012年の話によれば、同社の
月収は3〜3.5千万ルピアで、経費支出は月に4.5千万ルピアもあり、再マスター化
の作業はボランティアによって行われざるを得なかったそうだ。最低賃金にも満たない謝
礼でボランティアたちはロカナンタの保存資料が消滅しないように、有意義で貴重な作業
を行ったのである。

ロカナンタは収入増をはかるために、既に持っている音源からCDやカセットを作って販
売することも行ってはいるが、カセット生産は月に2千個、CDは月に4百枚を市場に出
しているだけだ。1950〜70年代の最盛期にカセットテープを月産2万個生産してい
たのに比べれば、雲泥の差と言えよう。カセットテープは1個1.5万ルピア、CDは1
個2.5万ルピアで販売されている。

 
インドネシアの古い大衆流行歌を無料で聴けるサイトがある。1910年代から80年代
までのヒット曲1,282タイトルを集めた音楽サイトIrama Nusantaraがそれだ。UR
Lはこちら↓
https://iramanusantara.org/#/
イラマムラユ、クロンチョン、ダンドゥッから、70〜80年代ポップスを競って市場に
送り出したIrama, Lokananta, Mesra, Remacoなどインドネシアの代表的レーベルの作品
の数々など懐メロの宝庫と呼ぶにふさわしいものだ。このサイトがいつまでも維持される
ことを願ってやまない。