「イギリス人ウォレス(4)」(2021年04月14日)

クンバンジュプン号は1856年6月15日にブレレンを発って、17日にロンボッ島の
アンペナンAmpenanに着いた。ウォレスはアンペナンをAmpanamと綴っている。かれはマカ
ッサル行きの便船が得られるまでロンボッに滞在することにした。アンペナンからはバリ
島とロンボッ島にある8千フィート級の双子の火山が日の出と日没時に霧や雲の間から示
す壮麗な姿を眺めることができて、熱帯の一日に素晴らしい魅力を添えた。

ウォレスはバンダルのひとり、イギリス人のカーター氏を訪問して知己を得、カーター氏
は滞在中の世話を引き受けることをウォレスに約束した。カーター氏の家は敷地内に住居
・倉庫・事務所などが高い竹のフェンスに囲まれて建っており、建物もすべて竹で作られ、
屋根は草ぶきだった。それらがこの土地で得られる唯一の建築資材だったのである。

数カ月前に町が大火災で燃えてしまい、建物再建のために建築資材需要が高騰して品薄高
値になっているとの話だった。実に、建てるのにたいへんな時間とエネルギーをかけるの
だが、燃える時には1〜2時間あれば十分だったそうだ。

アンペナンで毎日路上を青少年が細長い棒を持ってうろうろしている。棒の先にトリモチ
が付いていて、それでトンボを採るのだ。コメの開花期になると、トンボが猛然と増える。
トリモチでトンボを捕まえた子供は、羽をむしって籠に入れる。1千匹を捕まえるのに長
い時間はいらない。

捕まえたトンボは油で揚げて食べるのだ。バワンと蝦調味料を混ぜて食べることもあるし、
揚げただけで食べることもする。かれらはそれを美味だと確信している。ボルネオやセレ
ベスその他の島々ではハチの子を食べる。巣から出してそのまま食べたり、あるいはトン
ボのように揚げる。マルクではヤシオオオサゾウムシの幼虫を集めてパサルに持って行き、
食用として販売している。ありあまるほどの昆虫のおかげで、かれらは昆虫食を生活習慣
の中に持っている。


アンペナン周辺であまり採集成果があがらないため、ウォレスは湾沿いのずっと南にある
トリン湾Tring BayのラブアンLabuanへ行くことにした。そこにはシカやイノシシが豊富
にいると言う。

ウォレスは助手を連れている。ボルネオで雇ったマレー人少年アリと鳥の剥製作りの技術
をもったマラッカポルトガル人マヌエルのふたりだ。三人は現地のアウトリガーボートを
雇って海岸沿いに南へ下った。ウォレスはラブアンに住むアンボイナマレー人インチ・ダ
ウッ氏への紹介状を持って行き、快く迎えられた。その地は話にたがわず動植物の宝庫で
あり、しかも珍しい動物がたくさん見つかった。

しばらく滞在してたくさんの標本を集めたのに満足し、そろそろマカッサルへ向かおうと
考えてかれはアンペナンに戻った。ところがマカッサルに向かう船はいつまでたってもや
って来ない。それで内陸部へ旅をしてみようということになった。

カーター氏は快く馬を貸してくれ、また付添いとしてココス諸島生まれのイギリス人、ロ
ス氏が同行することになった。ロス氏は植民地政庁に雇われて、破産したロンボッのキリ
スト教宣教団の後処理を行っている人物だ。

ロンボッの平坦な地形を4マイルほど進んで、ロンボッの首府マタラムMataramに着いた。
ここは大きな村であり、巨木の並木に沿って大通りがあり、土壁の塀を背にして竹造りの
家屋が並んでいる。ここは地元土着民ササッSasak族のラジャ(王)が住んでいて、その
向こうはバリ島からやってきてた征服者の領地カランガスムKarangasemだ。ウォレスはそ
の綴りをKarangassamと書いている。

マタラムの中では、下層の人間は馬に乗ることが禁じられているため、ウォレス一行の中
のジャワ人サーバントは馬から下りて徒歩で進んだ。ラジャや高僧の住居は赤レンガの柱
で見映えよく造られているが、王宮は普通の民家とあまり違わない姿をしている。
[ 続く ]