「イギリス人ウォレス(22)」(2021年05月10日)

1858年10月9日朝、一行は海に乗り出した。ところが百ヤードも進まないうちに風
が正面から吹いてきたので、仕方なく陸地に寄せる。午後3時ごろ、やっと前進が可能に
なった。日没時に砂浜に上陸して食事を摂り、夜7時ごろ移動を再開した。そのときドナ
ティ彗星が出現したのを見て、全員が驚いている。

10月10日、風向きが悪く、ティドーレの村近くで時間を過ごすことになる。鳥や昆虫
を探してみたものの、珍しいものはまったく見つからなかった。日没ごろやっと出発して
隣のマレMare島に達し、朝までそこにいた。

11日、モティMoti島に到着。更に移動を継続して夜8時ごろにマキアンMakian島に着い
た。12日はマキアン島を海岸沿いに南下し、上陸して採集活動を行う。夕方には島の南
端に到着し、そこから次のカヨアKayoa島への15マイルの海峡を渡ることになる。とこ
ろがまた風向きが悪くなったために、炎天下に櫂漕ぎを強いられる破目になった。なんと
か海峡を渡って対岸に着いたのは夕方。13時間をかけて15マイルの海をやっと越えた。
ウォレスはマレをMareh、モティをMotir、カヨアをKaioa、バチャンをBatchianと綴って
いる。


14日はカヨア島を海岸沿いに南下する。その途中でサンゴ礁の浅瀬に出くわし、全員が
海中に降りてボートを引っ張る破目に。夜中に港村に着いたので、そこで一泊することに
した。浜辺に近い場所に建物があり、そこはテルナーテのレシデンが業務で訪れるときに
使用する宿舎だそうだ。そこにはプリブミ商人たちが泊っていたが、ウォレスはかれらに
混じって寝た。

翌朝、ウォレスは村長を訪れて、数日滞在したいからレシデンの宿舎を開けさせるように
依頼した。村長がそこへ行くと、ウォレスがそこを使うという話を聞いてプリブミ商人た
ちはみんなどこかへ引っ越し、空き家になっていた。

ウォレス一行は荷物をその宿舎に入れて仕事をしやすいようにアレンジし、終わるとさっ
そく採集活動にかかった。ウォレスは昆虫をたくさん採集して、午後、その整理をしてい
ると、大人も子供も総出で村中がウォレスのしていることを見物に来た。

16日、ウォレスは処女林の中に分け入って素晴らしい場所を発見した。さまざまな甲虫
が実にたくさん棲息している。70種くらいを捕獲した。そのうちの12種ほどは新種の
ものであり、それから数日間、かれは毎日そこへ通って新種の数を増やして行った。鳥は
たいして魅力的なものが得られなかった。

ウォレスはカヨアの土着民に興味を抱いた。ムラユとパプアのミックスで、テルナーテや
ジャイロロと同種なのだが、使っている言葉が違っている。周辺の土着語と似てはいるも
のの、明白な違いがある。ひとびとはムスリムであり、したがってテルナーテに従属して
いる。

この土地で採れる果実はパパイヤとパイナップルだけ。コメ・トウモロコシ・バナナは豊
富だ。水質の良い湧水はウォレスたちが上陸した場所から近いところにひとつだけあるそ
うで、全住民がそこの水を飲んでいる。ここの男たちは優れた船大工であり、良い船を作
って他の種族に販売している。


カヨアで5日間過ごした後、ウォレス一行はバチャンに向かい、10月21日夕方、最終
目的地に到着した。バチャンにもテルナーテのレシデンの宿舎がある。バチャンのスルタ
ンの秘書と名乗る人物にレシデンの紹介状を渡すと、秘書氏はその宿舎を使うように勧め
た。ところが、そこは水の便が悪く、また建物の構造がウォレスの仕事の便に即しておら
ず、おまけに原住民居住区の中にあるために、ウォレスはそこを遠慮し、原住民居住区の
外の、自然に近くて大自然に出入りしやすい場所にある家を使いたいと依頼した。

すると、村から炭鉱へ行く道路沿いにスルタンの持ち家があるから、明日それを見に行こ
うという結論になった。炭鉱から4マイルほど手前の道路脇にあるその家に入ることに決
めたウォレスは、助手たちに建物を修理させて、翌日そこに入った。その日午後にウォレ
スはスルタンに面会し、家を借りることの謝意を表明した。[ 続く ]