「イギリス人ウォレス(25)」(2021年05月17日) 翌日、助手を丘の方に送って鳥を狩らせたが、ありふれた鳥しかいなかった。明日出発す る、とウォレスは即座に決めた。翌早朝、ボートは川を下って河口に出てから、海岸沿い に北へ向かった。およそ2時間後に、ガレラ人の住む小屋がいくつか建っているラ~グン ディLangundi村に到着した。 ガレラ人はここでダマルdamar(英語でdammar gum)を採集している。砕いたダマルはほ ぼ1ヤードほどの長さのヤシの葉のパイプに詰めて、たいまつを作る。この地方に住む たいていの原住民にとっては、それが唯一の夜間照明になっている。 ウォレスたちはラ~グンディに10日間いたが、鳥も虫も新種のものが見つからないため、 4月1日にそこを引き払った。舟は早朝にラ~グンディを出発して、夕方にはバチャン島 側の川に入り、川沿いに良さそうな家が建っているのが見えたので、そこに泊まってみる ことにした。家のオーナーは尊敬できるムラユ人であり、寝室を貸してくれ、またベラン ダを使うことも許可してくれた。周囲の森林に包まれたその場所が期待を抱かせるものだ ったため、ウォレスはしばらくその家の一部を借りることにした。 翌朝、家の周囲を歩いてみたウォレスは、珍しい昆虫をいくつか捕獲した。しかし数日間 の滞在で、鳥と蝶があまりいないことがはっきりしたため、そこを去ることに決めた。と ころが、そこでの滞在の最後の日に素晴らしいことが起こったのである。 ウォレスはバチャンに来て以来、ニコバルピジョンNicobar pigeon(日本語はミノバト) を手に入れることを期待していたのだが、その日までこの鳥の姿を見かけたのはカヨア島 でただ一度きりだった。ところがここでの最後の日に、助手がついにニコバルピジョンを 持ち帰って来たのだ。ウォレスのバチャン旅行が満足できるものになったのは間違いある まい。 ウォレスはテルナーテに戻ることにした。テルナーテからバチャンまで来るときに使った 小さい借りボートは、荷物を積んで水先案内人と助手数人が乗り、先にテルナーテに向け て出発した。ウォレスは政庁のボートでテルナーテに帰る手配をしたのである。 政庁のボートはバチャンの植民地軍守備隊にコメを届けるためにやってきていた。そのボ ートがテルナーテに帰る時に同乗させてほしいとウォレスは指揮官に依頼して了承された。 バチャン出発は4月13日であり、ウォレスはちょうど6カ月マイナス1週間、テルナー テを離れていたことになる。 このボートはコラコラkora-koraと呼ばれるマルク地方土着のもので、左右に竹のアウト リガーが付いており、舷側は低く、悪天候にはきわめて弱い。舷側には12人の漕ぎ手が 座り、中央部はキャビンがあって荷物や同乗者を収容することができる。 櫂漕ぎが行われるとき、木製ドラムが打ち鳴らされる。ドラムのビートに合わせて漕ぎ手 が動きをそろえるのだが、なんともすさまじい喧噪が船内に満ちる。ドラムを叩くのはふ たり、そして漕ぎ手もかれらもテルナーテスルタンに命じられてその仕事に従事している 者たちである。 ほとんどがテルナーテのムラユ系である漕ぎ手はマットを持って舷側に座り、寝る時もそ こで眠る。食べ物は乾燥サゴと塩魚、漕ぐ時は滅多に唄わないが、目的地に着くときに気 分が高揚すると唄ったりする。かれらはあまりしゃべらない。 同乗者はジャワ人兵士が3〜4人、刑期を終えた犯罪者ふたり、学校長の妻と使用人、華 人商人。コラコラはテルナーテへの帰路にあちこちの場所に立ち寄ったので、三日間の航 海になった。その間、同乗者は狭いキャビンの中で雑魚寝した。 船首に小さい調理場があって、そこでコメを炊いたり、湯を沸かしてコーヒーを淹れるこ とができる。もちろん材料は全部自前だ。しかも大勢がその場所を使うから、各自がもっ とも妥当と思う時間にそこを使うことになる。だから食事の時間はひとによって大違いに なった。[ 続く ]