「イギリス人ウォレス(26)」(2021年05月18日)

テルナーテに到着する前日、コラコラはマキアン島に立ち寄った。大勢が浜に上陸してた
くさんのバナナや果実を取って来た。その夜、みんなが眠りに落ちた直後に蛇騒動が起こ
った。二匹の毒蛇がキャビンの中にひそんでいたのである。蛇退治を終えて、みんなは安
心して眠りに落ちた。

翌日、ウォレスと助手は懐かしいテルナーテの家に戻って来た。バチャンの旅で得たすべ
ての物は無事にその家に届いた。


1859年5月にウォレスは、かつてマカッサルからアンボンへ行く時に一日滞在したこ
とのあるティモール島クパンを訪れたあと、6月に北スラウェシのマナドManadoに向かっ
た。マナド到着は6月10日で、マナドに昔から定住してビジネスを行っているイギリス
人のタワー氏に迎えられた。

キングオブテルナーテの異名を取るダウフェンボーデン氏の息子のひとりがマナドで事業
を行っており、タワー氏の友人でもあった。タワー氏はまた、友人のネイス氏も紹介して
くれた。ネイス氏はマナドのネイティブであり、インドのカルカッタで教育を受けた人物
で、英語・オランダ語・ムラユ語がかれの母語である。

マナドの小さい町はたいへん小ぎれいなところだが、周辺が何マイルにもわたってコーヒ
ーとカカオの農園になっており、ウォレスの採集活動に適した場所を探すのはたいへんだ。
マナドの新たな友人たちはそんなウォレスにさまざまな助言や支援を惜しまずに与え、ウ
ォレスの仕事を大いに助けてくれた。


ミナハサの土着民はヌサンタラ島嶼部の住民の中で、ちょっとした変わり種だ、とウォレ
スは書いている。肌は明るい黄色や褐色でヨーロッパ人に近い。背は低めだが頑健な造り
であり、顔つきもオープンで見目が良い。加齢が頬骨を高めるために顔の相が変化する。
頭髪はムラユ系と同じで黒い直毛だ。

内陸部に住んでいるのは純血種であり、男女共にハンサムだが、海岸部の住民は混血が進
んでいて、周辺地域の土着民とあまり違いがない。

精神面やモラル面の特徴も、ミナハサ族はたいへんな特異さを持っている。もの静かで柔
和な姿勢が顕著であり、自分より上位にあると思われる相手に対して服従的になるため、
より高度な文明に出会うと、その習慣を学び、見倣おうとする。かれらは頭の良い工人で
あり、かなり高い知能教育を受容する能力を持っているように思われる。

ミナハサ族は比較的最近まで蛮族であり、いくつかの部落には酋長に率いられた部族が住
んで、互いに殺し合いをしていた。家屋は高い柱の上に作られ、敵が攻め込めないように
したいた。かれらは首狩り族であり、また人食い族だったと言うひともある。酋長が死ぬ
と、その墓には新しい首が二個備えられた。敵の首が得られないときには、奴隷が敵の身
代わりにされた。

人間の頭蓋骨は酋長の家の最高の装飾品だった。集落の外にあるのは道なき道の土地にい
ささかの水田や野菜畑、果樹林などだけ。かれらの宗教は大自然の特殊な現象が未開人の
精神に湧き起こさせるたぐいのものであり、燃える山・奔流・湖などが神のすみかであり、
ある種の樹や鳥が人間の行動や運命に影響をもたらすと考えた。神は人間を、存命中ある
いは死後に、動物に変える力を持っていると考えられ、神を慰撫するために祭りを行った。

周囲のすべてを敵にして戦争し合う隔絶された小コミュニティが、生活改善やモラルの進
歩への欲求も展望もなしに他律的な状況の中で代々生き続けて来た、という真の野蛮さの
姿をわれわれはそこに見ることになる。そんな歴史に変化が起こったのは、1822年に
コーヒーの農園開発とそのトライアルが行われたときだった。[ 続く ]