「マレーはムラユに非ず(終)」(2021年05月25日)

たとえばオランダ植民地軍KNILをオランダ人の中にはKlein Niet Intelligent Leger
のアクロニムとして読む者が少なからずいた。オランダ王国東インド軍でなくて「ちびで
知能後進的軍隊」という意味だ。実際にKNIL兵士の中核をなしたのはジャワ人・マル
ク人・スラウェシ人・ティモール人などであり、マラユ族自体はたいして目立つ存在でな
かったから、オランダ人が受けた印象は厳密に言うなら非マラユ族プリブミとマラユ族が
いっしょくたになってもたらしたものではなかったろうか。ところが、オランダ人が設け
た公式呼称はプリブミ=ムラユだったために、KNIL兵士はほとんどがムラユ人だった
という言葉が公式表明になってしまった。つまりデテクティフムラユとはムラユ族のこと
でなく、ムラユという言葉でインドネシア人全体を指しているのだ。

インドネシア人の中の非ムラユ族がそんな意味でムラユと言う語を自虐的に使い、おまけ
に非ムラユ族がその言葉から自分たちに向けられた揶揄侮蔑を感じ取るのだから、はなは
だ複雑怪奇な自虐的精神現象であると言えないだろうか。


インドネシア人を見下し侮る視点は数限りない。ムラユ族だけということでなく、ムラユ
文化を含めてインドネシアを構成するたいていの種族が共通的に持っている価値観の中に、
熱暑の下で汗水流して身体を使う仕事は下層・卑賎な人間のものであるという観念がある。

偉い人間ほど自分は何もせず、他人にそれをやらせるのである。そのひとりの人間個人の
世話をたくさんのお付きの者が行う。お付きの者がたくさんであればあるほどその人間は
社会的により偉い人間と見られ、個人の排泄の後始末まで世話するお付きの者を持てば、
最高のステータスにあることが確信される。自分で何もしないことがステータスの高低に
関わるという価値観はこの南国の地に太古から確立されて来た。

かつて人口の少ない王国では、奴隷や下層賎民の数が少ないために肉体労働者が十分に得
られず、天然資源開発から農業生産まで、人口稠密な王国に比して発展に後れを取った。
ジャワがヌサンタラの最重要地区になったのは、他地方に比べて人口密度が高く、それに
比例して下層賎民の人口も大きかったせいだという指摘もある。

ところが西洋人や日本人やその他の民族は、働くことは汗水流すことであり、どのような
環境下においても労働する人間は高貴な存在であるという、インドネシアの価値観と真っ
向から対立するものが常識になっている。それをしない者は怠け者という烙印が捺される
のである。

インドネシア人は食事の際に汗をかく。それが健康の証明なのだ。そのためにトウガラシ
を多用する者もいる。汗水流して仕事するのは下層クーリーがすることであり、エリート
勤労者がすることではない。ましてや、国家指導者や国政高官、国民の代表である代議士
たちが身体を動かして汗をかくことを自分の職務の結晶であるなどと言い出せば、おまえ
には筋肉ばかりがあって脳みそがないのかと悪口を言われかねないのだから。

そんな価値観で生活を営んでいたから、青年期を過ぎればたいていのひとはでっぷり太っ
て下腹がせり出して来る。その姿がステータスシンボルとされ、そうでない姿をしている
いい年恰好の人間は成功の甘き香りから遠く離れた、悲惨な賎民もどきの暮らしをしてい
る憐れな人間という社会価値観の紐でくくられてしまうことになる。

インドネシア人が伝統的価値観を守り続けるなら、国際社会で怠け者の評価が与えられ続
けるにちがいあるまい。国際スタンダードを気にする昨今のインドネシア人は、仕事の場
で身体をてきぱきと動かすことに物おじしないようになった。エアコンの効いた事務所の
中では、汗をかかずにてきぱきと行動できるだけまだ幸いだ。

頭も身体も迅速に働く勤労者は高い生産性を生み出せる。そのような勤労姿勢を持つこと
で、勤務評定にプガワイムラユと書かれることをきっと避けることができるにちがいある
まい。[ 完 ]