「イギリス人ウォレス(32)」(2021年05月27日)

イスラム教徒は宗教の中で自制を習慣付けられ、決まりを破らないことが実生活の中で身
に着いている。豊かな欲望に加えて犯罪や怠惰への誘惑に包まれているひとびとと、そう
でないひとびとが一緒にそこにいるというのが現実の姿なのである。それに加えてもうひ
とつある別の要因としてウォレスが感じたのは、原住民キリスト教徒が持つ傾向として、
キリスト教徒になったことでヨーロッパ人とほぼ同等の地位を得たのだという意識に浸り、
それがイスラム教徒に対する自分たちの優越感をかき立て、その結果として商売をしたり
自分の土地を耕作して生きる努力をするのを見下すオリエンテーションを持たせているこ
とだ。

文明化のまだ未発達なレベルのひとびとにとって、宗教とは儀式的形式的なものがほぼ全
体を占める。キリスト教ドクトリンの理解も、モラルの教えへの服従も弱い。そんなキリ
スト教徒原住民の中で、ポルトガル人プラナカンであるオランスラニはまだ優れた階層だ
ろう。より文明的であり、勤労的・生産的であって、ムラユ人とあまり遜色がない。ただ
し酔っ払い傾向という大きい弱点が長所を割り引いている。


アワイヤ村でも、ウォレスのコレクションはたいした進展がなかった。そこから数マイル
先にあるマカリキMakariki村から、セラム島を縦断して北海岸に抜ける道がある。アワイ
ヤ村で三週間過ごしたころ、ニューギニアで知己を得たローゼンベルフ氏がウォレスを訪
ねて来た。同氏はいま、セラム島のその地域の監督官をしている。そしてセラム島内陸中
央部の山中の清流で捕まえた珍しい蝶をウォレスに見せ、その場所に数日滞在すればウォ
レスにとって大きい成果が上がるかもしれないと勧めた。

翌日、ローゼンベルフ氏はウォレスを誘ってマカリキを訪れ、ウォレスがセラム島中央山
岳部への徒歩旅行を行うための荷物担ぎ同行者を集めるよう、マカリキの首長に指示した。
クリスマスが近づいているため、早急に出発する必要がある。二日間でひとを集めること
で合意がなされ、ウォレスはアワイヤ村に戻って旅の準備を行った。

ウォレスが雇ったアンボン人鳥撃ちはアワイヤに残して、鳥を撃って皮をはぐ仕事を続け
させることにした。ウォレス自身は6日間の旅程に必要な最低限の荷物を持ち、蝶の捕獲
が上手なアワイヤの若者ひとりだけを連れてマカリキに向かった。


1859年12月18日、同行を命じられたマカリキの6人の男たちとともに、ウォレス
はマカリキ村を出発した。男たちはウォレスの荷物と自分のための荷物を担いでいる。最
初の一時間、たくさんある泥穴を隠している濡れてもつれた下草の上を一行は元気よく歩
いた。いくつか小川を越えてから、セラム島で一番大きいルアタンRuatan川の岸に出た。
この川は深く、流れが速い。しかし迂回路はないのだ。

男たちは荷物を頭の上に載せて流れを越えて行った。水はほとんどかれらの腋の下まで達
している。中のふたりがウォレスの渡河を助けるために戻って来た。ウォレスは川に入り、
腰の上まで流水に浸った。深みでウォレスが前進しようとして脚をあげたあと、なんと足
を川底に下ろすことができなかった。ふたりに助けられて、ウォレスはなんとか渡河に成
功した。いつも裸足で出歩いている原住民の足の裏の握力はたいへんな強さだとウォレス
は感心した。

そのあとしばらく進んでから、半時間ほど朝食を摂り、ふたたび正午ごろまで歩き続けた。
地層が砂礫から岩石に変わって低い丘に囲まれた窪地から山峡に入り、水流を渡り、ある
いは森を横断しているうちに午後三時になって、空が雲に覆われ、山の方から雷の音が聞
こえて来た。嵐が近付いているのだ。早急にキャンプの準備をしなければならない。キャ
ンプに良い場所を探していると、ローゼンベルフ氏が前に使った小屋が見つかった。

かれが寝るために作った小屋の枠だけが残っているので、すぐに枝葉を伐り集めて屋根を
葺く。そのときにはもう雨が降り始めていた。男たちはウォレスのための寝屋を用意して
から、それぞれが適当な場所を探して嵐が通り過ぎるのを待った。嵐の後は至るところで
小川が激流に変わるため、いずれにせよ、前進するには水が引くのを待たなければならな
い。嵐が去ったので火を熾し、ウォレスはコーヒーを愉しんだ。男たちは魚とバナナを焼
いて夕飯だ。すぐに闇が降りてきて、初日の夜はゆっくりと休んだ。[ 続く ]