「インドネシア語とマレーシア語(2)」(2021年05月28日)

インドネシアの民族運動、つまりは異民族による支配を廃して土着民族が主権を持つ独立
国家を作ることは、ヌサンタラにある種々の文化と言語を持つ多数の種族がひとつのエン
ティティになることでしか実現されないのを運動指導者たちは熟知していた。だから、か
れらの運動は、いまだヌサンタラに出現したことのない、全種族が平等の立場で参加する
統一国家の形成を目指したのである。

ヌサンタラをひとつの国土にすること、ヌサンタラに分裂割拠していた諸王国諸種族をひ
とつの民族に仕立て上げること、そのアイデンティティ形成のためにひとつの言語を国語
に位置付けること。青年会議の狙いはそこにあったのだろう。そのときに、ヌサンタラの
各地で共通語として使われていたムラユ語が変貌したのである。民族アイデンティティの
一部にインドネシア語という名のムラユ語が置かれ、ムラユ語が本質のインドネシア語が
ヌサンタラの諸種族を結び合わせる接着剤に使われた。インドネシア民族のアイデンティ
ティの中にムラユが重要な場を占めたことになる。

土着民に尊大なオランダ人が、実際の種族が何であろうと誰かれ構わずムラユと呼んでい
た状況に、微小な程度ではあってもインドネシア語がマッチングを生じさせたかもしれな
い。そのせいで、ムラユ族でないすべてのインドネシア国民の中に、自分たちはムラユの
一部であるという感情が忍び込んだとしても、不思議はないだろう。


インドネシア語がムラユ語グループのひとつになったことで、ムラユ語を使う別の国家と
の言語面における共同作業をインドネシア政府が行うことになった。その点を見るだけで
もジャワ人やマルク人に、自分たちはマレーシア人やブルネイ人とつながりがあるのだと
いう感情を誘発させることになる。

インドネシアはブルネイ・マレーシアと共同で三カ国間の言語審議会を設け、各国で使わ
れているムラユ系言語の進展状況を情報交換して協議することを行ってきた。既に40万
を超えるムラユ語彙の形式や語義の共通化がなされ、また各国語間での綴り字や記号の使
い方の共通化も進展しているのがその成果である。いまだ完全な一致に到達しているわけ
ではないものの、異なる表記法が大幅に減少したのは明白な事実だ。

しかし複数の国語が単語や熟語を百パーセント共通化させるようなことが土台無理な話で
あるのは、言語というものの本質が見えるひとには言わずもがなだろう。言語表現という
のはその使用者が主権を持っているものであり、言語コミュニティという具体的な実態内
容を描き出すことの不可能な人間集団がフィルターとなって表現の素材と方法の妥当性を
決めているのだから、たとえ絶対権力者であろうとも、その実態を前にしては特定個人に
何をする力もない。せいぜい裸の王様になるのがオチだと思われる。

インドネシア共和国教育文化省国語開発育成庁はインドネシア人にとってのインドネシア
語の開発育成をミッションにしているので、インドネシア語をより豊かなものにするため
に新語のインドネシア語化という作業もその職務の中に含んでいる。2018年の時点で
学術面の用語40万語、生活面での用語として国内1,340種族が使っている地方語も
インドネシア語化検討プロセスのまな板に載せられる順番を待っている。[ 続く ]