「イギリス人ウォレス(36)」(2021年06月03日)

上陸して休息し、朝になって朝食を愉しんだ。前日の朝以来、何も食べていなかったのだ
から、やっと人心地がついたようだ。食事を終えるとまた舟に乗り、海岸線を航行する。
ワトゥベラ諸島の最南端にあるウタUta島までやってきたものの、ケイKei群島の手前にあ
るテオルTeor島を通過するために好都合な追い風が吹くのを待って、二日間風待ちを行っ
た。

南風を頼りにウタを出発したところ、風は突然北東風に変わり、ボートは南に戻らざるを
得なくなった。テオル島の方角に一時間進んだあとで西南西の風を受けたため、ボートは
大きくコースから逸脱した。夜になって、ボートが目的地からたっぷり10マイルも風下
の大海に入ってしまったことを知った。このままでは、大量の荷物のために水面ぎりぎり
まで沈んでいるボートで大海の中を一週間も進まなければならない。5人の乗組員は不安
をあからさまに示した。下手をすればニューギニアの海岸に流れ着き、蛮人の手で皆殺し
にされる可能性もある。

口々に戻ろうと提案する5人の男たちを、この風では出発地に戻ることは不可能だとウォ
レスは説得した。その場所からだと、ウタ島よりもテオル島の方が近い。ともあれ、風と
海流に翻弄されているボートが10時ごろ、幸運にもサンゴ礁に乗り上げたのである。お
かげで風と潮に流されるリスクは回避できた。翌18日朝、風がウタの方角に向かって吹
き始めたのを幸い、ボートはワトゥベラへと走り、ワトゥベラに上陸して数日過ごした。
その間ウォレスは状況を子細に検討し、最終的にケイ島行きを諦めてゴロンに戻ることに
したのである。

セラム島探査がたいへん大きな不満に終わったのと同じくらい深く、ケイ島行きの放棄も
ウォレスに残念の思いを抱かせた。アル島で有頂天の成果をあげることができたのだから、
ケイ島にもその再現の可能性は大いに存在していたとウォレスは信じている。それがセラ
ム島〜ウタ島という動物相の貧困な場所を往来するだけに終わってしまったのだから、仕
事をしてその成果を得るという行動論理のバランスシート上ではじかれた数字は、悲惨と
しか言いようがなかったのではあるまいか。


サンゴ礁でできたワトゥベラ島はあらゆる場所にココナツヤシの木が生えていて、原住民
はヤシの木で生きている。真水を得るのがたいへん困難であるため、飲料は若いヤシの実
の液体であり、それは島のどこへ行こうが、ヤシの木に登りさえすれば、いつでもいくら
でも手に入る。果肉が固まって来ると、その上にゼラチン質の層ができる。それが原住民
にとってのご馳走になっている。成熟したヤシの実の水は捨てられる。

ワトゥベラ原住民はそのヤシの実からヤシ油を作り、買い付けに来るブギスやゴロンの商
人に売る。商人たちはそれをバンダやアンボンに運んで売る。ヤシ油作りが島をあげての
産業になっているのだ。

ココナツヤシ以外にはアレンヤシの樹があり、その実はシリの葉を噛むときの副素材に使
われる。実はスライスし、乾燥させてペースト状にこねる。シリの葉を噛むのはムラユ族
やパプア人の伝統的な習慣だ。やっとひとりで走れるようになったくらいの幼児が口に赤
いペーストの塊をはさんでいるのを目にするのは、その年頃の幼児がタバコを吸う姿を目
にするのよりはるかに大きな違和感をもたらすものである。とはいえそれがかれらの習慣
なのであり、乳離れしていない子供にすらそのようにしているのだから。

ココナツヤシの花穂から採集した液体を発酵させると、パームワインpalm wineができる、
とウォレスは書いている。パームの語がココナツを含んだものとして使われている用法だ
ろう。それをココナツワインと呼ぶ人もあるだろうが、ウォレスが単語を誤用したわけで
はあるまい。

ワトゥベラのパームワインは実においしい飲み物で、ビールよりもサイダーに近いが、ビ
ールくらい酔わせる力がある。ウォレスにとって、ワトゥベラでの数少ない贅沢品がそれ
だったようだ。[ 続く ]