「イギリス人ウォレス(43)」(2021年06月14日)

北に向かって大海に乗り出すと、風が強まり波は荒れ、すさまじい揺れにウォレスはダウ
ンした。日没時、ミソオルの山がはっきりと見えたが、プラフはまだ半分も海を渡ってい
ない。一夜明けて見ると、プラフはもっと西に流されて、ミソオル島西端の海岸に着ける
ことすら至難のわざであるように思われた。プラフを東に向けようとしても、風と海流が
それを許してくれない。

こうして船は19日午後、ミソオル島から10マイルほど北西に離れたカナリKanari島に
到達し、ミソオル島南岸に上陸するのは不可能なことが確定した。しかしそこから東航で
きるなら、ミソオル島北岸部のワイガマWaigamaに上陸する可能性はまだ残されている。

場所がどこであれ、ミソオル島に着きさえすれば、小型ボートで海岸線を回り、シリンタ
にアレンの必要な物資を届けることができるのである。ウォレスは風待ちをしようと考え
た。

カナリ島に上陸して食事とコーヒーで一休みしようと思ったにもかかわらず、自然はそれ
すら手を貸そうとしない。その位置からミソオル島への接近も既に不可能になったと判断
したウォレスは、カナリ島の北にあるポッパPoppa島へ向かうことにした。ウォレスの言
うポッパ島とは、多分現代インドネシアのコフィアウKofiau島と思われる。


21日夜明けごろ、ポッパ島に近付いた。島に上陸するべく努めたにも関わらず、風向き
がころころ変わって島の西に流された。こうなれば、できるだけ早くワイゲオ島に着いて
ミソオル島へ行く船を探し、アレンへの荷物をそれに託す方が合理的だ。ただ、ワハイを
出てから四日間、どこにも上陸して休息を取ることをしておらず、全員が疲れ切っている。
ウォレスの地図にはポッパ島の25マイル北方に三つの島が描かれているので、そこへ上
陸して1〜2日休むことにした。

苦労の末に、その島のひとつの南岸に達して投錨することができ、そのまま夜を明かした。
朝起きて見ると、プラフを錨だけでそこへ置いておくわけにいかないことが明らかになっ
た。プラフを大岩に縛り付けておかなければ、プラフがいつの間にかどこかに消えてしま
うことになりかねない。上陸して休んでいる間にそんなことが起これば、悲劇的な結末が
一行を待ち受けている。

岩場に向かうために錨を上げて動き出したが、またまたプラフは陸地から離れてしまい、
少し深い場所で投錨することになった。パプア人とムラユ人のクルーふたりがそれぞれ手
斧を持って海に飛び込んだ。泳いで浜に上陸し、ジャングルに入ってプラフと岩をつなぐ
ためのロープに使える蔓を取って来ようというのである。

およそ1時間後、プラフの錨が緩んで引きずられはじめた。すぐにスペアの錨を投げ込み、
状況は収まったが安心はできない。上陸したふたりに、すぐ戻るよう銃で合図した。ふた
りは浜辺に戻って来て、食用になる貝を集め出した。ちょうどそのとき、また錨が緩んで
プラフはゆっくりと沖に流され始めたのである。プラフにいる者はすぐにオールを手にし
て船を戻そうとしたが、何の役にも立たないことを悟って諦めた。声を限りに叫んでみた
ものの、浜にいるふたりの耳に届いた気配はまったくなかった。

浜にいるふたりはプラフに視線を向けた。現在起こっている状況が何であるのかをしばし
考える姿を示し、突然狂ったように海に走り込んで泳ぐそぶりを見せたものの、考え直し
たようだった。ふたりは再び森の中に走り込んだ。ウォレスはふたりが森の中の柔らかい
木を伐って筏か何かを作り、まだ浜から三分の一マイルほどしか離れていないプラフを追
いかけて来るつもりだろうと期待した。ところが、もう追跡の準備ができただろうと思わ
れるタイミングで、浜辺に煙が上がったのを見た。ふたりは集めた貝を焼き始めたのだ。


プラフは浜から1マイルほど離れてしまい、西に向かって流されている。だが、ふたりが
置き去りになった島の反対側に上陸できれば、ふたりを収容することはまだ可能だ。そう
考えて努力してみたものの、船を東に進ませることは不可能だった。ウォレスの船がふた
りを収容するための動きはもう残されていなかった。ふたりがこのプラフを追って来るこ
とだけがクルーの完全な復元の道であり、ふたりがその意志を持つことをウォレスは深く
期待した。そのために隣の島に上陸して数日待ち、ふたりにチャンスを与えなければなら
ない。いやそればかりか、プラフ内の飲用水はあと二日しか持たないのだ。水の補給も不
可欠である。[ 続く ]