「イギリス人ウォレス(44)」(2021年06月15日)

その夜、プラフは隣の島の沿岸で停泊し、全員が船内で眠った。翌6月23日朝、ウォレ
スはふたりを伴って上陸した。船内にもうふたりを残したのは、朝食を作らせることと緊
急事態発生に備えてのものだ。緊急信号用として長銃に弾丸を込め、プラフに残る者に渡
した。

島の海岸沿いを歩いて東端へ行くと、焚火の跡が見つかった。薪に付いている葉はまだ緑
色で、きわめて最近のものであることが分かる。ジャングルを切り開いて島の高台に上っ
てみたが、ジャングルがあまりにも濃くて遠くを見渡すことができなかった。

低地に降りて泥と朽ち葉の水たまりを見つけたので、湧水かも知れないと思ってすべてを
取り除き、プラフに戻って朝食を摂った。そのあと、その場所へ戻ってみたが、やはりた
だの雨水溜りでしかなかった。ウォレスは島の反対側へ行って、ふたりのクルーが置き去
りになった島から見える場所に、かがり火を用意した。夜に大きいかがり火を燃やして、
ふたりに待っていることを知らせるためだ。

翌日、ウォレスは再び飲み水探しを行い、幸運にも数ガロンの真水が溜まっている岩穴を
ふたつ見つけた。プラフからすべての水桶やコップを持って来させ、真水を全部汲み上げ
て水桶をいっぱいにすることができた。


25日夜8時ごろ、プラフはワイゲオに向けて出発した。翌朝、プラフはワイゲオ島西端
から20マイルほど西の地点まで来ていることが分かった。26日、ワイゲオ島の前に散
らばる小島の間を、サンゴ礁の上に出たり離れたりして不安におびえながら、ますますワ
イゲオ島に近付いて行く。夜になって、ワイゲオ島の水域に入ったと思われたが、何をど
うすればよいのか見当がつかない。ワイゲオ島を知っている唯一のクルーは、あの島に置
き去りになってしまったのだから。ウォレスはプラフの帆をすべて下ろし、ただ流されて
行くにまかせた。

また夜が来て、プラフはサンゴ礁に乗り上げた。風が強ければプラフは粉々になったかも
しれないような危機をなんとか脱し、27日には帆を揚げて航行を続け、午後に良さそう
な島を見つけて停泊し、上陸した。翌朝また出発してワイゲオの南海岸線に達したので、
島を分断している狭い海峡を目を皿にして探したが見つからない。村はその海峡の奥にあ
るのだ。

ワイゲオ島の中央部は巨大な湾になっていて、湾の北の奥が地峡になっている。南海岸か
らその湾までの間はまるで川のような狭い海峡であり、湾岸の村々へ行くには海峡を通過
しなければならない。

船は奥まった入り江に入って行った。ここに海峡があるのではないだろうか。しかし夕暮
れが迫っていたから、停泊することにした。プラフの飲み水はもうなくなってしまい、コ
メを炊くことができない。


29日朝、上陸して真水を見つけたから、不安はひとつ取り除かれた。そのあとは、海峡
を探すか、あるいは海峡を知っている原住民を見つけ出して案内してもらうことに努める
ばかりだ。ワイゲオ島南岸を航行して来た三日間、家もボートも人間の姿も、そして一条
の煙すら見ることがなかった。一度だけ、一艘のカヌーを目にしただけだ。

入り江の東端まで来たので、西に引き返すことにした。そして夕方ごろ、幸運にも海上に
建てられた7つの家屋があるだけの集落を発見したのである。そこの部落長であるオラン
カヤは多少のムラユ語を話すことができた。

部落長の話によれば、海峡はまちがいなくウォレスが通って来たこの入り江の中にある。
しかし密生したジャングルのためにその入り口が分かりにくく、海岸近くまで接近しては
じめてはっきりそれが分かるのだそうだ。

海峡の中にある最初の大きい村はムカMuka村で、その先の村を三つ通り越してからやっと
ワイゲオ村に達する。ここからムカ村までは二日の行程だ。ウォレスはオランカヤに依頼
した。ここからムカ村まで案内してもらうために、住民ふたりに手伝ってもらえないだろ
うか。親切なオランカヤはその用意のために一日待つように言い、ウォレスはその間、そ
こで鳥を撃った。[ 続く ]