「イギリス人ウォレス(46)」(2021年06月17日)

処女林の中の小川と道からあまり遠くない場所に巨大なイチジクの樹が一本生えている。
イチジクの樹だけを残してその周辺を切り開き、そこに家を建てることにした。柱の高い
方が7フィート、低い方が4フィートの長く狭く低い小屋を建て、帆布と村の廃材アタッ
プで壁を作り、ヤシの葉のマットを屋根に張った。6人ほどの村人がその家を建てるのに
協力してくれ、三日間で完成した。

家の中を快適に整え、そこでの生活を始めた初日の夜、激しい雨が降って雨漏りが家の中
をびしょ濡れにした。昼間は太陽が十分に照って、濡れた物は乾く。屋根に上がって雨漏
り対策を講じて見たものの、翌夜もまた同じことが繰り返された。結局また廃材アタップ
板を買い、ヤシの葉マットを増やして屋根を二重構造にしたので、やっと雨漏りがなくな
った。


ウォレスは極楽鳥の情報を村人から集めてみた。ワイゲオ島に来たのは、極楽鳥の収集が
最大の目的だったのだから。極楽鳥がいるのはベシルBesir村であり、ここにはいないと
いうのがムカ村住民の答えだった。だがウォレスはこの村で極楽鳥の鳴き声を聞いている。
ウォレスがそれを主張しても、村人たちは信じなかった。しかし事実は事実だ。

処女林の中に入って行くと、極楽鳥はたくさんいた。だが人間を怖れて姿を隠す。ウォレ
スはそれをシャイshyと表現している。美しい極楽鳥を何羽も目にし、撃ち落とそうと射
撃したというのに、他の鳥ならほぼ確実に地上に落ちるものが、この鳥に限って落ちない
で飛び去る。動きはたいへんに迅速で、あっと言う間に姿を隠すのである。

家の横にあるイチジクの樹に実がなると、その実を食べにたくさんの鳥たちが集まって来
た。極楽鳥がそこに混じっていた。ウォレスがコーヒーを飲んでいるときに極楽鳥を見つ
け、すぐに銃を手にして樹の下に立つ。動きがとても速いために狙いをつけるのが難しい。
あれよあれよと思っている間に、飛び去ってジャングルの中に消えた。

それ以来、数羽の極楽鳥が毎朝イチジクの樹に朝食を摂りに来るようになった。だがどの
鳥も動きが迅速で、しかも長居をしないから、撃ち落とすのは至難のわざだ。ウォレスは
じっくりとかれらの動きを観察し、一二度失敗を経験し、数日かけてやっと一羽を撃ち落
とすことができた。結局、イチジクの樹にやってくる多数の極楽鳥の中でウォレスの手に
入ったのは二羽だけだった。

イチジクの実が残り少なくなったためか、それともこの樹は危険だということを覚ったの
だろうか、極楽鳥はその樹にやってこなくなった。しかし森の中に入れば、鳴き声を聞き、
飛ぶ姿を見ることができた。一カ月が経過して、ウォレスも鳥撃ち助手たちも極楽鳥の個
体を増やすのが困難になってきたので、ウォレスはベシル村に行くことを考えた。ベシル
村にいるパプア人の中に、極楽鳥を捕まえて剥製にし、それを売る者がいるのである。


ワイゲオの原住民は先住的土着民でなかったようだ。この島に元々その種の人間はおらず、
ハルマヘラからムラユ人、パプアからパプア人がやってきて居住し、いずれもサルワティ
やドレの女性を妻にして人種混交が進んだようだ。ウォレスがサルワティSalwattyと書い
ている島は現代インドネシアのサラワティSalawati島のことだ。

各地からこの島にやってきて定住するひとびとが人種混交を複雑にしたことで、ワイゲオ
島人というのは純粋ムラユから純粋パプアまでを両極端にするあらゆる段階の外見を持つ
に至った。言語はパプア島北西部・チュンドラワシ湾の島々・サラワティ・ミソオルなど
の沿岸部で共通的に使われているパプア語だ。

それらの現象がパプアとマルクの間の多島海でどのような移住と植民のプロセスが起こっ
たのかを推測させてくれる。ワイゲオ・ゲべGebe(ウォレスの綴りはGuebe)・ポッパ・オ
ビ・バチャンやハルマヘラ島の東と南の半島のような元々先住的土着民のいない無人だっ
た地域に雑種的放浪的なムラユ人とパプア人というふたつの特徴的な種族が住み着き、相
互に混じり合いながらそれぞれの土地の原住民を形成したというプロセスが起こったであ
ろうことが、強く推測されるのである。[ 続く ]