「イギリス人ウォレス(52)」(2021年06月29日)

政庁が住民の経済活動を促進させ、インフラを整備して経済効率を高めることで、領地は
発展し、住民は植民地統治がメリットをもたらすことを認識する。イギリスもオランダも
そのようなことをしているというのに、ここはまたいったいどうしてこうなのだろうか、
とウォレスははなはだ訝しんだ。


2月24日にギーチ氏がティモールを去った。ギーチ氏を雇ったのはポルトガルの鉱山開
発会社であり、シンガポールにいるポルトガル商人が会社資本金の大部分を担った。その
プロジェクトの発端は、かなり昔にディリの東方にある山で銅塊が発見され、山全体が銅
の塊であるという話を政庁上層部以下が信じていたことに始まる。

ポルトガル人は、まず鉱脈探査を、などという悠長な話は時間と金の無駄だと考えて、イ
ギリス人鉱山技師を二年契約で雇った。その人間に採鉱事業を請け負わせて、必要な機材
・資材の一切および数人のメカニックを請負者の責任の下に用意させたのである。

すべてがディリに揃い、ディリから総督・軍司令官・判事長のお歴々、現地周辺地域の原
住民首長たち、そしてハート氏が通訳として付き添ったギーチ氏とメカニックらが現地に
集まって鉱山オープニング式典の運びとなる。ところが銅の塊だと言う山をギーチ氏が見
た時、「銅の鉱脈など、どこにもありませんぞ。」という話になった。

「そんなはずはない。ありえない。」と言われれば、多勢に無勢。ギーチ氏は銅の鉱脈を
探して歩き出す。ところが、行けども行けども銅の山などという様相に出くわさない。見
つかるのはせいぜい、採算性のない貧弱な銅原石程度だった。

ポルトガル側は、銅鉱山の掘削をどこで開始すればよいか、その地点を指示してほしい、
とギーチ氏に要請したが、「ここに銅はないので、そんなことをするのは金と時間の無駄
だ。」とかれは主張した。しかし総督はギーチ氏の言を信用せず、「鉱山技師のあなたは
場所を示すだけでよいのだ。やるやらないはわれわれが決めることだ。」と決めつける。

ギーチ氏は再度同じことを言い、あるかないか判らない地底の銅を探すために峡谷を削り
取って行かなければならず、そんなことに時間と金を使うことはできない、と説明した。
通訳の言葉を聞いたお歴々一行は突然背を向け、何の一言もなしにその場から帰って行っ
たそうだ。その後、この事件に関してポルトガル人の間では、イギリス人技師は銅を掘り
出す意志がなく、このプロジェクトは陰謀がらみのものだった、という話が広まったと言
う。

ギーチ氏はシンガポールのポルトガル商人に手紙を書き、メカニックは帰国させること、
自分は契約期間をティモール領内の鉱物資源探査に当てることを説明して同意を得たもの
の、ディリのポルトガル政庁はギーチ氏をディリから出さないように努め、かれの行動を
さまざまに妨害した。しかし最終的に鉱物資源探査行動は許可され、ギーチ氏は助手と共
に東部地区を調査して回った。そして得られた結論は、鉱山として採算の合うものは何ひ
とつないということだった。銅鉱も数カ所で見つかったものの、低品質でビジネスになる
ものでなかった。

たとえ何かマシなものが見つかったとしても、まず道路建設から始まり、更に必要な機材
・資材・人材をすべて輸入して採鉱活動に入ることを思えば、採算性がきわめて厳しいこ
とは想像がつく。この地がもっと文明化した後でなければ、鉱業ビジネスは成り立たない
だろうというのが最終結論だった。


これは無知盲信の徒と、権力に押されて無恥猛進する愚挙を拒否した人間の姿を浮き彫り
にしたような話だ。山を切り崩して地底の底まで見せてやれば、ディリのお歴々は最終的
に銅がないことを信じただろう。ギーチ氏にとっては、自分の意見が正しいことを証明す
る方法がそれだったように思われる。だがそんなことをすれば、ギーチ氏の契約報酬はす
べてが吹っ飛び、自分の財産をその愚挙のためにつぎ込むことになりかねない。

その愚挙に合わせて契約内容を変え、契約金額を上増しするような契約主がいるわけがあ
るまい。契約主にもっと金を出させるためには、ギーチ氏は嘘をつくしか方法がなかった
のではあるまいか。だが、かれは自分のプライドを護るために詐欺行為を行うことも拒否
した。[ 続く ]