「イギリス人ウォレス(53)」(2021年06月30日)

無知盲信の徒というのは、迷信や偽言虚言を信じて頑なになっているものだ。かれらに真
理真実を「信じさせる」のがいかに困難なものであるかということは、現代社会において
も何も変化していない。その種の人間に真理真実を「信じさせる」ことは、エベレストの
山頂からチャレンジャー海淵に至る千差万別の知性レベルを持つ人間への大いなる挑戦で
あり、真理真実の敗北という挫折が常に足元に大きな口を開いてひとを待ち受けている。
直立歩行するようになったサルがたいへんな進化を遂げたと言われている中にあって、こ
の問題はいまだに栄枯不変の障害を人類に与えているようだ。

だからこそ人類は、その無知盲信の徒を手玉に取るために、実体を言葉で描き出すことが
ほぼ不可能な「社会」という、人間でできた空気のようなものを操作する方法を使って来
た。個人を相手にすると失敗する確率の大きいその障害が、社会という空気の膜でかれら
を包むことによって失敗の確率が大幅に減少したことをわれわれは歴史の中に多々見出す
ことができる。実に、進化したサルの扱い方を十二分に心得た超進化したサルが歴史の中
で世界中のあちこちに出現したのである。われわれの周囲にもきっとそんなサルがいるに
ちがいあるまい。だからこそ人類は社会性を低下させて個人主義の方向へと邁進している
ように見えるのだが、それが超進化したサルの手管を知り尽くした無知盲信の徒の反撃な
のかどうかは別にして、社会性が深まる以前の段階に展開された人類生活形態への回帰が
それであるなら、もちろん全く同一になるわけがないのだが、人類の進化とはいったい何
なのかという疑問に襲われるひとも少なくないだろう。閑話休題。


ポルトガル領ティモールの中央山岳部に住む土着民はパプア系だ。一方、海岸部の住民は
ムラユやインドあるいはポルトガルが混じっていて、パプア系より背が低い。山岳部で家
屋は3〜4フィートの高床にするが、海岸部では土間になっている。

死者の遺体は地面から6〜8フィートの高さに敷かれた板の上に載せられ、露天のままに
置かれているものもあれば、屋根が設けられているものもある。埋葬の際に宴を開かなけ
ればならないので、遺族がそれを行えるようになるまで遺体はそのままだ。

ティモール人は概して偉大なる泥棒であるものの、血に飢えている者たちではない。かれ
らは常にかれら同士の間で抗争し合っていても、ヨーロッパ人に危害を加えることはない。
機会があれば他部族の保護されていない人間を誘拐して奴隷にする。町中に住む混血者を
除いて、キリスト教徒原住民はいない。

原住民は自分たちを支配しようとする人間をたいへん嫌い、自分たちの自由独立を維持し
ようと努める。だからポルトガル人にせよオランダ人にせよ、かれらに受け入れられて共
生できるような雰囲気は見られない。


ポルトガル領ティモールには、過去三百年間の植民地時代を通して、ひとつの道路も作ら
れていない。街と近隣の村や何らかの関りを持つべき土地をつなぐ道路がひとつもないの
である。それは領内の発展を望む者がポルトガル側にも原住民側にも、ひとりもいないと
いう状況を示しているようだ。政庁の官僚たちは原住民から搾り取り奪い取ることだけを
考えている。その一方で、原住民が反乱を起こして攻めて来たときのことは、たいして想
定されていない。

この地は土壌も気候も農栽培を助けるものでなく、植生も単調であまり魅力的でない。特
に乾季はたいへんに厳しく、自然水の水流が涸れてしまうこともしばしば起こる。しかし
高さ2〜4千フィートの高所は十分な湿気があり、ジャガイモや小麦を繁茂させることが
できる。

産業と呼べるほどの産業がまるでないティモールでは、輸出商品は小馬、白檀、蜜ろうな
どくらいだ。白檀は主に中国に輸出されて、寺院や富裕層の邸宅で消費されている。

ウォレスは1861年4月25日に期待外れだったディリを去って、セラム島の西に浮か
ぶ大きい島、ブルBuru島に向かった。オランダ植民地政庁の郵便船は5月4日にブル島の
カイェリKayeli港に入り、ウォレス一行を下ろした。ウォレスは自著の中でブルをBouru、
カイェリをCajeliと綴っている。Cajeliはオランダ式綴りだろう。[ 続く ]