「バタヴィア最初の映画館(2)」(2021年07月02日)

プリブミ庶民を対象にしているところはヨーロッパ語でクラス分けをするはずもなく、一
等二等三等で呼ばれた。その三等という、最低レベルのクラスは往々にしてkelas kambing
ヤギ級とも呼ばれた。中には、三等はまだ椅子に座るが、三等最前列の椅子と銀幕の間に
ある空間にしゃがんで映画を見るひとびとをヤギ級と呼んだという説を述べるひともいる。
要するに、人間と言うよりもヤギの群れに近いという印象がその諧謔的な呼称を生んだの
かもしれない。

また別の説では、バタヴィア路面電車の一等車は西洋人、二等車は非プリブミアジア人、
三等車がプリブミと家畜用であり、三等車にはヤギも乗るので、最低等級である三等の実
体はヤギ級だという意味に由来しているというものもある。


映画のことがインドネシア語でgambar hidupと呼ばれたのは、日本語の活動写真とそっく
りで面白い。当時のムラユ語新聞にはgambar idoepという綴り方で書かれている。ところ
がその後、映画を上映する場所である映画館bioskopもgambar idoepという言葉で表現さ
れるようになったらしく、現代インドネシア語を網羅したKBBIにはgambar hidupの語
義がbioskopと記されている。

映画の勃興期はサイレント映画の時代だ。映画館ビジネスが大いに儲かった映画隆盛期に
は、映画館に楽団が入って音無しの映画上映に華やかさを加えた。映画が始まる前には映
画館の表で音楽を奏で、映画の始まりに合わせて館内に入り、上映される映画にBGMを
付けた。

人間の集まる場所には食べ物売りが店開きするのがインドネシアの常道であり、映画館の
表で販売していた物売りたちは観客が入場して席に着くと中まで入って来て、上映が開始
されるまで商品を手にして客席の間を売り歩いた。だから、暗くなって映画が始まる直前
まで、館内は物売りの呼び声で賑わった。

当初は、映画館内は男女別席になっていて、男性用女性用の席が通路によって左右に分け
られていた。暗い映画館内で映画を見ないカップルを防止するのは、この方法に限る。夫
婦で映画を見にやってきたカップルはまたふたり揃って帰るのが当たり前の話だから、映
画の上映が終了して館内が明るくなると、今度はカップルが相手の名前を呼び合う大声で
館内がにぎわったそうだ。

だが夫や妻を見つけ出せないまま帰宅した夫婦が皆無だったわけでもあるまい。その二人
には愉しかったはずの映画鑑賞の思い出など粉々に砕け散るほどの活劇シーンが深夜に起
こったかもしれない。そのシステムはあまり長続きしなかった。そのうちに観客が勝手に
入り乱れて座るようになり、映画館側もうるさく言わなかったために、いつの間にかなく
なってしまった。

古い時代には、プリブミが入場できる映画館では服装も年齢も制限がなく、サンダル履き
でも裸足でも、入場券さえ持てば何ら問題にされなかった。オランダ人のように一張羅で
来るひともあれば、見すぼらしい普段着のままやってくるひともあった。中にはパジャマ
姿で来るひとがあったが、どうやらインドネシア人はパジャマを睡眠のための衣服と考え
ていないようで、いまだに真昼間からパジャマ姿で世間をうろついているひとを庶民の間
に見かけることがある。


幼児を連れた大人や、乳飲み子を抱いて映画館に入るイブイブも普通にいて、映画を見な
がら授乳するのは当たり前の光景だった。困ったことに、その赤ちゃんが上映中に泣きだ
すこともしばしば起こった。

サイレント映画だから、泣き声が邪魔でセリフが聞こえないという問題は発生しない。そ
うではなくて、赤児の泣き声がインドネシア人の心の平静を奪ってしまうのである。銀幕
上で繰り広げられているストーリーに集中できなくなるのだ。母親は入場料金の元を取ろ
うとして一心不乱に銀幕を見つめているのに、周囲の人間が、いや映画館の隅にいる観客
までもが気が散ってしかたないという事態に陥ってしまう。[続く]