「バタヴィア最初の映画館(3)」(2021年07月05日)

映画の黎明期、タルボットやシュヴァルツの映画館で上映される映画はドキュメンタリー
ばかりで、ドラマなどはほとんど見られなかった。インドネシアで初めて上映された映画
はオランダのヴィルヘルミナ女王を写したドキュメンタリー映画だった。

映画上映には楽団の演奏が必ず付随し、上映開始前にはオランダ国歌が演奏された。国家
が演奏され、銀幕にヴィルヘルミナ女王が出現し、オランダ人観客は一斉に起立する。プ
リブミ庶民も入れる映画館では、それに誘われて起立するプリブミもいたが、まったく我
関せずと他のことをしているプリブミも少なくなかったそうだ。

そのうちにドラマ映画の制作が活発化して、米国・イギリス・イタリア制作のものが多数
を占めるようになる。ファントマ、ジゴマ、トム・ミックス、エディ・ポロ、チャーリー
・チャップリン、マックス・ランデー、アルセーヌ・ルパンなどの映画が人気を集めた。
中でも、チャップリンの人気はたいへんなものだった。


チャップリンは2回、オランダ領東インドに観光旅行にやってきた。1927年と193
2年で、2度とも西ジャワ州ガルッGarutを汽車で訪れた。チバトゥCibatu駅に到着した
チャップリンをたくさんの市民が歓呼で迎えた1932年3月30日の画像がある。かれ
はファンたちの歓迎に応えて、お土産やお金を駅頭でひとびとに配った。

1932年の旅では、チャップリンはバタヴィアに到着してから汽車でバンドンに向かい、
1897年に開業したバンドンのグランドホテルプリアンガーGrand Hotel Preangersに
宿泊した。ホテルに滞在中チャップリンが愛用した椅子が今に残されている。

ガルッではホテルグランドガンプランHotel Grand Ngamplangに泊まり、当時ヨーロッパ
で観光スポットとして名声の高かったチャンクアン湖Situ Cangkuangをはじめ、いくつか
の観光地を見物した。ガルッを出たあと中部ジャワのチャンディボロブドゥルを訪れ、更
にスラバヤから1932年4月4日にバリ島のシガラジャに船で渡り、バリ島南部デンパ
サルのバリホテルに宿泊した。

かれのバリ島滞在は4月4日から17日までのほぼ二週間に渡った。最初は10日にスラ
バヤに戻る日程だったが、その予定が延期されて17日に変更されたのである。かれがい
かにバリ島を気に入ったかをその事実に見ることができる。かれはガムラン伴奏で演じら
れるバリ娘の舞踊レゴンダンスtari Legongに狂喜した。お返しにデンパサルで数回、映
画の上映が行われた。その時代、映画は上流社会層と金持ちが楽しむもので、一般庶民が
簡単に見に行けるものでなかったから、バリ島民に提供された無料映画上映はたいへんな
価値を持っていたと言えるだろう。


チャップリンの時代が終わると、カウボーイ映画が人気を集めた。特にプリブミ庶民を対
象にした二級三級映画館では、ストーリーが単純で活劇シーンの多い内容のものが好まれ
た。一方、プリブミ庶民があまり近寄らない、ヨーロッパ人とプリブミ上流階層が集まる
一級あるいは高級映画館に、文芸の薫り高い作品がしばしば掛けられた。

Rembrandt Theatre, Globe Bioscoop, Decapark, Troelieなどがそのクラスに数えられた
映画館であり、トーキー時代に入ってからもそのステータスが維持され、1930年から
スタートしたインドネシアプリブミ制作の映画がそれらの映画館で上映されることはなか
った。それらの映画館の中で長命を保ったのはパサルバルのグローブだけだった。[続く]