「イギリス人ウォレス(55)」(2021年07月02日)

徒歩となると荷物担ぎ人が必要になるため、オランカヤが一日先行してペラへ行き、荷物
担ぎのアルフロスを集めておくことになった。計画は順調に進んで、ペラから海岸沿いに
10マイル歩き、5月19日にワイポティに到着した。そこには、村はなく、家屋と農園
が散在しているだけだ。

ウォレスが使える家は屋根の腐った背の低い小屋だけだった。幸運にもその夜は雨が降ら
ず、翌日すぐに屋根の修理を行った。その家から半マイルほどのところにきれいな水流が
あり、その向こうが森林に包まれた丘になっている。水流を越えて丘に入ってみたところ、
その辺りには踏み分け道も何もないようだったから、採集はあまり期待できない場所だと
ウォレスは考えた。

丘にはトウモロコシやバナナの畑がたくさんあるのだが、新開地が見当たらない。それで
ウォレスは自分で森林の一部を切り開くことにし、ふたりの原住民を雇って適当な広さの
空き地を作った。しかし、他の島で得られたほどの種類と量をそこで得ることはできなか
った。特に、美しい種類の虫があまりいなかった。


ウォレスはブル島での二カ月間で甲虫を210種類得たが、1857年にアンボンで、か
れは三週間で300種の甲虫を採集しているのである。ブル島での採集活動も、行く前に
期待していたほどのものでなかった。ウォレスがブル島で得た鳥は66種で、その中に新
種が17種あった。そのひとつがヤイロチョウPitta科の美しい小鳥だ。

ウォレス自身も、かれの鳥撃ち助手たちも、週に何度かこの鳥を目にしているというのに、
深い茂みの奥で鳴き声が聞こえてもすぐに飛び去ってしまったり、時には近すぎる場所に
いたために撃てば鳥の身体が砕け散って標本にしようもない状況だったりして、なかなか
手に入らないままワイポティを去らなければならない日が近付いてきた。

助手のアリはこの鳥を手に入れることができないのをたいそう気に病み、ワイポティ出発
予定日の二日前の夕方、植物のトゲで負傷した足をかばいながら森の中に入って行った。
数マイル離れた森の中の小屋で休み、夜明け前に起きて日の出を待ち受けるためだ。日の
出と共に森の鳥たちは餌を食べるためにやって来る。アリはこの最期のチャンスを見過ご
すことができなかったのだ。

翌日の夕方、アリが戻って来て土産をウォレスに渡した。アリは念願のその鳥を二羽、持
ち帰った来たのだ。一羽は頭が吹き飛ばされ、身体も傷んでいたので標本にできるもので
なかったが、もう一羽は完璧な姿をしていた。ウォレスはこの鳥が他の島にいるものとは
異なる、全くの新種であることを確認した。


翌日、ウォレス一行はカイェリに戻り、すべての荷物を梱包して郵便船が来るのを待った。
ウォレスがテルナーテの家に戻るのは、このときが最後だった。ウォレスと助手たちはテ
ルナーテの家に二日間滞在してすべての荷物を梱包し、すべての友人たちに別れを告げ、
1861年7月7日、マナドに向かう郵便船に乗った。

1856年9月にはじめてマカッサルを訪れてから、ウォレイシアを中心にした東部イン
ドネシア地方での4年10カ月の旅の終幕がそれだった。ウォレスは二度と訪れることの
ないマルクの島々に永遠の別れを告げたのである。

船のスケジュールに従ってマナドとマカッサルにそれぞれ数日間滞在し、そして7月18
日に郵便船はスラバヤに到着した。ウォレス一行はスラバヤで降りると、集めたコレクシ
ョンをそこで二週間かけて梱包し、ロンドンに向けて送り出した。身軽になったウォレス
はジャワ島での採集活動に励む。[ 続く ]