「イギリス人ウォレス(56)」(2021年07月05日)

ジャワの都会は自然から離れすぎている。大自然の中にある絶好の狩場へ行きたいのはや
まやまだったが、いかんせん、ジャワは交通費が高すぎた。ジャワ島内の旅は、豪華だが
金を食うものなのだ。

遠方へ行こうとするなら、馬車を雇うか借りなければならない。そして、6マイルごとに
置かれている替え馬の常設交換所で馬を取り換え、1マイル当たり半クラウンの金を支出
しなければならない。このシステムを使うことによって、ジャワ島の端から端までを時速
10マイルで走り続けることができるのである。一方、標準外の荷物は牛車や荷担ぎ人に
運ばせなければならない。ウォレスの活動とこの移動方法はまったくのミスマッチングだ
ったから、行き先はできるだけ近い森林にしようと考えてウォレスはアルジュナ山麓の森
を行き先に選んだ。

スラバヤの郊外はまったくの平坦地で、あちらこちらに耕作地がある。開けた平地に道路
が数マイルの距離にまっすぐ伸び、その両側にタマリンドの並木が列をなしている。1マ
イルごとに警備ポストがあり、警官がそこで任務に就いている。そこには木製のクントガ
ンkentonganが吊り下げられて、非常事態を周辺住民に告知するために使われている。時
おり通過する集落は、竹の群生、白い建物、製糖工場の煙突が単調な風景を見せている。

ウォレスはスラバヤの南方40マイルにあるモジョクルトMojokertoの町に住むイギリス
人、ボール氏の家を訪れて紹介状を差し出した。ボール氏はジャワでの滞在が長く、夫人
はオランダ人だ。良い借家が得られるまでここに住んではどうか、とボール氏はウォレス
に勧めた。


モジョクルトには副レシデンと原住民首長であるレヘントが住んでいる。街はこざっぱり
していて、巨大なブリギンberinginの樹の下にはパサルが作られ、終日、住民が集まって
来る社交場になっている。

翌日、ボール氏はウォレスを誘ってモジョアグンMojoagung村を訪れた。かれはそこに住
居とタバコの取引所を建てているのだ。続いて、古都モジョパヒッMajapahitの遺跡を見
に行った。半ば崩れた巨大な煉瓦の塊がふたつあり、明らかにジャワ風ゲートの遺跡であ
ることが分かる。モルタルやセメントのような煉瓦を接着させる素材の跡が見られないこ
とから、ウォレスはジャワの煉瓦建造物の精密さに舌を巻いた。煉瓦の一個一個が緻密で
硬く、正確な角度と均一の表面をしている。これほど驚嘆されるような煉瓦作りをこれま
で見たことがない、とウォレスは書いている。そこから数マイルに渡ってあらゆる方向に
建物の跡が見られ、道路や小道はその下に煉瓦で基盤が敷かれていることがわかる。多分
それが古都の舗装道路だったのだろう。

モジョアグンのウェドノWedana(ウォレスはWaidonoと綴っている)宅を訪問し、そこで
溶岩石に彫られた美しいロロ・ジョングランの彫像を目にした。その彫像は村に近い場所
で地面に埋まっていたものが掘り出されたそうだ。ウォレスはボール氏に、このようなも
のはどこで買えるだろうかと尋ね、ボール氏がウェドノにそれを取り次ぐと、ウェドノは
ためらいもなくそれをウォレスに進呈した。その高さ2フィートでかなり重量のある彫像
は、翌日、ウェドノ宅からモジョクルトのボール氏宅に運ばれた。


ウォレスはアルジュナ山西側斜面にあるウォノサラムWonosalamにしばらく滞在すること
にした。滞在許可をレヘントから現地のウェドノに出してもらうために、副レシデンにそ
のことを依頼し、一週間後にウェドノの許可が下りたので、ウォレスはモジョアグンから
荷物と助手を伴ってウォノサラムにやってきた。

折りしも、ウォノサラムではウェドノの弟と従兄弟たちの割礼の祝宴が開かれている最中
だったため、ウェドノ邸は住民で満ち溢れており、ウォレスは別棟の小さい部屋を使うよ
う案内された。ガムランが夜っぴて演奏され、ウォレスはガムラン音楽を堪能した。

しかしこの場所は標高1千フィートの高所にあるものの、森林はコーヒー農園のずっと向
こうにあって、毎日そこへ往復するわけにいかない。他の方角には、ウォレスにとって良
い狩場は存在しなかった。鳥撃ち助手たちはその一帯で豊富に見られる野生の孔雀を狩っ
た。孔雀肉は白身で七面鳥並みの柔らかさとデリカシーがあり、ウォレスたちの舌を楽し
ませたようだ。[ 続く ]