「イギリス人ウォレス(57)」(2021年07月06日)

ウォノサラムの滞在三日目にボール氏が様子を見にやってきた。ボール氏が物語るには、
一昨日の夕方、少年が路上でトラに食い殺されたそうだ。牛車に乗って帰宅する途中の少
年に、村から半マイルも離れていない場所でトラが飛び掛かった。そして少年の身体を近
くのジャングルにくわえこんで食い殺した。翌朝、骨になった少年の遺体が発見され、ウ
ェドノは7百人近い住民を指揮して人食い虎を狩り、ついに発見して殺した。

このようなケースでは、原住民は槍だけを使い、広範なエリアを取り囲んで獲物を追い立
て、その輪を狭めて行って、最終的に槍を構えた人の輪がトラを串刺しにしてしまう。ト
ラは逃げ道が無くなったことを知ると、ジャンプして槍の輪を跳び越えようとする。その
ときに十数本の槍が突き立てられて、トラはたいてい即死する。ズタズタにされたトラの
皮はもはや何の値打ちもない。頭骨は切られて歯が取り出され、それがひとびとのお守り
にされるのである。


ウォレスはウォノサラムを一週間で切り上げ、麓のジャパナンJapanan村に下った。ウォ
レスはDjapannanと綴っている。その村は周囲が小さい森で囲まれており、ウォレスを期
待させるに十分な姿をしていた。村長はウォレスのために、自宅の中庭に竹造りの部屋を
ふたつ用意してくれた。ウォレスの役に立とうという意気込みが村長の姿から感じられた。

気候はたいへん暑くて乾燥しており、数カ月間雨が降っていないから、昆虫の採集は不可
能と諦め、全員が鳥の採集に取り組み、満足できるコレクションができあがった。

ある朝、ウォレスが村長宅の中庭で標本作りを行っていると、ここで裁判が開かれると突
然言われた。4〜5人の男が入って来てマットにしゃがみ、続いて村長と事務員がやって
きてその対面に座った。マットにしゃがんだのは囚人・告発者・警官・証人たちで、それ
ぞれが自分の話を物語った。ウォレスがじっくり観察したところでは、中のひとりの手首
にひもがからめられており、それが囚人を示す合図であることが判った。ひもは緩くから
められているだけで、まったく縛られていない。

これは強盗事件の裁判らしく、証拠品が示され、村長がいくつかの質問を行い、告発者が
何か言い、そして村長の判決が下された。罰金刑だったのである。しゃがんでいた連中が
立ち上がり、和気あいあいの雰囲気で去って行った。その裁判進行の中で、だれひとりと
して激情に駆られたり、気分を害して不愉快になった姿を示した者はおらず、実にムラユ
的性格を絵に描いたようなものだとウォレスは思った。


ウォノサラムとジャパナンでのひと月間の滞在で、ウォレスは98種の鳥を採集した。昆
虫の標本は貧弱そのものだった。東部ジャワはこれでもう十分だと考えて、ウォレスは西
部ジャワに向かうことにし、モジョクルトからスラバヤへ戻るのに川をボートで下った。

ゆったりしたボートにウォレスと助手たち、そして多くの荷物を積み込んでの優雅なこの
旅にかかった費用は、スラバヤからモジョクルトへ来る時に支出した費用の5分の1で済
んだ。


スラバヤへ戻って数日後の9月15日、一行は蒸気船でバタヴィアに移動した。バタヴィ
アでは、一週間ほどホテルデザンドに宿泊してバタヴィアを見て回り、これからの活動計
画を練った。このホテルは居間と寝室およびオープンのベランダが付いており、たいへん
に快適だ。朝のコーヒーと午後のティ―はそのベランダで愉しめる。方庭の中央には大理
石の浴槽がいくつもあって、いつでも利用することができる。10時の朝食、6時の晩餐
も素晴らしい食事であり、そして宿泊料金はたいへん妥当な金額だ。

バタヴィアの街は訪問者にとって不便な所だ。ビジネスセンターは港の周辺にある一方で、
公職者やヨーロッパ人ビジネスマンたちの住居、あるいはホテルなどは港から2マイル南
の地区に集中している。その地区には広い道路や広場が設けられて、広大なエリアになっ
ている。

訪問者にとっての不便というのは、何よりも移動の足が賃貸しの馬車しかないことであり、
その二頭立ての馬車は最低でも半日5フルデンかかるので、午前中の一時間のビジネスで
も、また夕方の私邸訪問でも、半日分の金額を二回出費しなければならなくなる。

バタヴィアでひとは誰も歩かない。道路は砂利道だが、置かれている石は粗いもので、そ
こを歩くと足が痛くなる。みんな馬や馬車に乗るのが普通であり、庭を歩くひとさえいな
い。[ 続く ]