「バッタ(終)」(2021年07月30日)

マウリル町やカワ~グ町の農民の間で、蝗害に奇妙な神話がまとわりついている。あのブ
ラランたちは祖先がわれわれを罰するために遣わした者だという解釈を信じる人が何人も
いるのである。その解釈はブラランが祖先の霊魂であるという考えに容易に飛躍する。

ブラランクンバラの大群が押し寄せてくると、住民の中に簡素にお出迎えの儀式を行う人
がいる。呪文のようにブツブツと文句を唱えながらシリピナンの水を水田や家屋の周辺に
散らすのがその儀式だ。かれらにとっては、これは害虫による災害でなくて祖先が祟りを
与えているのであり、ご先祖様に早々にお引取りを願うに越したことはない。

かれらが唱える文句の内容は「やあ、ご先祖様、わたしどもはまだ苦難と貧困の中で暮ら
しております。わたしどもの田畑を荒らさないで、どうかよそへお移りください」といっ
たものだそうだ。

そのような農民の姿勢がブララン襲来に対抗して害虫を撲滅させようという意識を弱いも
のにし、県農業局が行う駆除活動をまるで他人事にしてしまう。かつて県庁はドイツの民
間団体の協力を得て、ブララン襲来への予防対策として講習会などを行うと共に、ブララ
ンを1キロ捕まえて持って来れば米2キロと交換するプログラムを実施した。県庁側は米
1千5百トンをその交換プログラムのために用意したというのに、最終的に250トンし
か使われなかった。

そのブララン姿のご先祖様という信仰は、蝗害の激しかった1972年に始まった。米・
トウモロコシ・ソルグムsorgumなどの主食穀物ばかりか、ありとあらゆる植物が餌食にな
った。その状況は1976年まで継続した。

スンバ島に貧困が広がり、飢餓が住民を襲った。困窮した住民は祖先の墓を暴いて、金に
なる副葬品を取り出しはじめた。王や高貴なひとびとの墓すら掘り返された。その状況を
利用する者たちが現れて、民衆が予想していなかった高値で考古学的価値のある副葬品を
どんどん買い集めた。住民は墓暴きに奔走した。

1976年を最後にして、蝗害は終息した。墓を暴いて周辺にうち捨ててあった遺骨を元
通りに納め、墓を修復させることを行い、そうすることで事態の回復を願う宗教儀式が大
々的に営まれ、それが功を奏したとひとびとは考えたようだ。そのときに、ブラランと祖
先の結びつきが民衆の脳内に刷り込まれたにちがいあるまい。しかし20年以上が経過し
た1998年にブラランの群れがまた戻って来たのである。


蝗害はスンバ島だけでなく、ティモール島でも起こっている。2012年1月には、北中
部ティモール県北ビボキ郡の水田地帯から1キロほどの原野を百万匹を超えるブラランク
ンバラの大群が食い荒らしており、食いつくされれば150Haの水田地帯に押し寄せて
来るおそれが高いために農民も行政も戦々恐々の状態になっていることが報道された。

ティモール島でも南中部ティモール県、ベル県から隣国ティモールレスト領土内一帯をブ
ラランクンバラが破壊している。2007年から8年にかけて、それらの諸県とティモー
ルレステ政府は国連食糧農業機関(FAO)の協力を得て蝗害撲滅作戦を実施した。それ
から3年間、農民にとって平穏な時代が続いたが、2012年に入ってブラランがまた戻
って来たのである。

ブラランクンバラは陸上であれば百キロ超の距離を苦も無く渡る。20〜30キロくらい
しか離れていない島なら海を飛び越えることもする。たとえ50キロも離れていたとして
も、風に乗って海を飛び越えることも起こるのである。

ブラランクンバラがやってきて3〜4日居座れば、5Haの農耕地はただの荒地に変えら
れてしまうことだろう。人類はバッタを益虫にする必要に迫られているようだ。[ 完 ]