「イ_ア語の極意は接辞」(2021年08月02日)

ライター: インドネシア大学ムラユ文化センター、スルハスリル・ナシル
ソース: 2010年5月14日付けコンパス紙 "Lupa Embara"

embara? 聞きなれない言葉だ。本当は、その語は接辞形で頻繁に使われているのである。
つまりmengembaraやpengembaraの形で。pengembaraはkelanaと同義語だ。pengelanaなど
にする必要はない。昔の物語の中に折に触れて登場する詩的な言葉である。kembaraの語
源はembaraなのだが、kembaraの形で出会う方が多いだろう。

われわれは往々にして言葉の原形を忘れてしまい、文の中に接辞形を並べ立ててしまうこ
とがある。たとえば:
Pak Ahmad sangat memedulikan anak-anaknya.という文は、本当はこう書いてよいのだ。
Pak Ahmad sangat peduli anak-anaknya.

別の例は接辞過剰なこの文。
Pemerintah memperingatkan agar pelaksanaan peraturan perlalulintasan serta 
pengawasannya dapat terlaksana dengan melakukan penataan birokrasi kepolisian.

このような文は言うまでもなく明瞭さに欠けており、簡単に消化できない。どうして次の
ような文にしないのだろうか。
Pemerintah ingatkan agar laksana peraturan lalu lintas serta awasannya dilakukan 
dengan tataan birokrasi kepolisian.

このケースにおいては、pelaksanaanとlaksana、pengawasanとawasan、memperingatkanと
ingatkan、penataanとtataanの間に何の違いがあろうか。


kembaraの形はマレーシアでより好まれている。ブルネイでも同様だ。物語形式ばかりか、
歌詞の中でも頻繁に使われている。インドネシアではせいぜい作曲家のティティ・ハムサ
くらいが作品の中に使っている程度だろう。1981年のポピュラーソングフェスティバ
ル全国大会でトップ3に入ったKembara di Tepi Senjaのように。

インドネシアのブルリアン・フタウルッ級のマレーシア人気歌手アイシャはポエティック
な歌詞を唄っている。
Tiada kata secantik bahasa
kan ku puji kakanda
Tiada gambar secantik lukisan
kan ku tunjukkan perasaan
kakak puspa kemala
mengharum jiwa
mm....
kakak puspa kemala
mustika dinda

Namun musim berubah
suasana berubah
tapi ikatan mesra
sedikitpun tak berubah
Tiada kata secantik bahasa
ku puji kakanda

その歌をPラムリ時代のもののように想像してはいけない。アイシャはそれをジャズタン
ゴの曲調で唄っているのだ。聞くに心地よく、またハートに迫る。薄っぺらい意味と取っ
てつけたような言葉だらけのわれらがインドネシアンポップスの歌詞と比べてみるがよい。


puspa, kemala, mustikaあるいはkakandaにせよ、それらの言葉に何があったのか?それ
らは元々インドネシアにあったものではなかったか?われわれは自分が持っていたものの
多くを忘れてしまったが、マレーシアがそれらを受け継いだ。マレーシア人がそれらを乗
っ取ったと非難するのは恥ずかしいだろう。まるであの歌が「bahasaほど美しいkataはな
い」と皮肉っているみたいではないか。マレーシアは、言語の発展を目指して古い昔から
定期的に開かれて来たブルネイ=インドネシア=マレーシア言語協議会フォーラムを実に
真剣に活用している。

だれが悪いのだろうか?テレビか?多分。時代か?もちろん大混乱だから。文化か?もち
ろんレベルダウンしている。テレビ放送、国会議員、交通道徳などを見ればよい。われわ
れが非難するべきものは、単一ではないのだ。ひとつだけ特記したいことがわたしにある。
国民教育省の一機関、国語センターの役割向上の必要性についてだ。

マレーシアでこの分野を担当しているのは国語図書協議会Dewan Bahasa dan Pustakaであ
る。この機関は国語と出版に強い影響力を振るっている。国語・語義・造語(出版)の分
野でこの機関は積極的にその権限を行使しているのである。マスメディアはこの機関が出
した手引きと指導を参照して、それに従っている。インドネシアはどうか?マスメディア
は自由気ままに新造語を作り出し、大衆は盲目的にそれを呑み込んでいる。国語センター
の役割は?だれも気にしないために、まるで虚弱体質者のようになっている。