「スマトラのムラユ食品(5)」(2021年08月04日)

ナシミニャッの美味しさはスパイスとサミン油の調合に負うところが大きい。代々伝えら
れてきたこの店の料理人の手腕は、この地方で群を抜いたものにちがいあるまい。スパイ
スはクローブ・シナモン・カルダモン・クミン・コショウを水で茹でてだしを取る。続い
て大鍋にサミン油を入れて赤バワンの細切れと共に熱し、そのあと潰したニンニクとショ
ウガ、そして擦ったパイナップルとトマトソースを加え、更に先に作ったスパイスのだし
を加えたあと、そこに米を入れて飯を炊く。飯が炊けあがったらできあがりで、出来上が
った飯はなるべく熱いうちに食べるのが美味しい。

汁料理と一緒に食べるのが一般的な作法であり、カリカンビンやソトサピsoto sapiがお
かずになる。添え物にはンピンムリンジョemping melinjoが合う。そしてデザートはパイ
ナップルのアシナンasinanだ。

今の店主が2002年にナシミニャッを店内のメニューに加えてみたところ、15食分が
瞬く間に売り切れた。それ以来ナシミニャッは定常メニューになったのだが、水曜日と金
曜日だけの特別メニューにした。毎回、30食分を用意して11時ごろから売り始めると、
どんなに遅くても14時、たいていはもっと早く売り切れになる。金曜日は礼拝を終えた
ひとびとが続々とやってきて、早々に売り切れる。客は付近でオフィス勤めしている会社
員や家族連れ、中には若者もやってきて注文する。この店でナシミニャッ1食(一皿)と
汁物を何か食べれば、それだけで腹いっぱいになること請け合いだ。

ラマダン月になると、ナシミニャッは毎日用意される。ところがブカプアサの時間に大勢
が一時に押し寄せるので、すぐに売り切れる。ブカプアサのためにやってきたのに、食い
そびれる者が出るのでは気の毒と、店主はその時期45食分を用意するのだが、売れ残る
ことがない。

このナシミニャッはパレンバンのスルタン王宮から始まったそうだ。それが南スマトラ全
域に広がり、さらにジャンビまで遠出したという話をインドネシア語ウィキぺディアが来
歴として語っている。

パレンバンでは、ナシミニャッはパサルクトPasar Kutoのカンプンアラブで一般的な料理
だったナシクブリnasi kebuliがムラユ風にアレンジされてスルタンの食膳に載せられた
のが発端だそうで、パレンバンにはインド系プラナカンがジャンビよりはるかにたくさん
住んでいるというのに、ここでもインド人は陰に隠れてしまった。

ナシクブリはバスマティ米が使われるのが普通なのに、ナシミニャッはパレンバンでもジ
ャンビでもローカル米が使われている。ナシミニャッに汁物料理を添えるのはジャンビの
特徴であって、パレンバンは汁物のおかずを絶対視していない。

ナシクブリの生成はハドラミのインドへの移住がもたらしたものかもしれない。アラブ系
プラナカンのお好み料理に飛びついたのがブタウィ人であり、今でもジャカルタのブタウ
ィ系のひとびとはチキニのアラブレストランでナシクブリをよく食べている。
ハドラミについては、拙著「ダンドゥッの系図」をご参照ください。度欲おぢさんのサイ
トでどうぞ。 
http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-49DangdutHistory.pdf

言うまでもなく、ナシクブリはアラブ料理のひとつに該当するため、現代のサウディアラ
ビアでもナシクブリを食べることができるそうだ。しかしインターネット内には、ナシク
ブリはインドネシアにしかなく、アラブの地では食べられていないという説も語られてい
て、ハイブリッド料理であることを印象付けている。サウジを訪問するインドネシア人は
昔から数多く、多分そんなひとりがアラブ人も食べていると書いているのだろうから、故
郷を去ったアラブ人が異郷で作ったハラル料理が里帰りしたという、世界によくある文化
移動の一現象と考えてよいのではあるまいか。[ 続く ]