「みつばち(2)」(2021年08月04日)

たいまつの煙が蜂の巣にかかると、黒っぽかった巣が白くなった。巣を覆っていた万を超
える蜂が巣から離れたからだ。蜂の大編隊が巣の上方や周辺に黒い雲を作った。男は枝の
上に寝そべると、まだ巣に残っている蜂を手で払い落し、枝に近い位置で巣を切り離して
から、ひもを付けて地上の仲間に下ろした。

その作業の間、かれは怒り狂った蜂にまとわりつかれていたから刺されなかったはずはな
く、おまけにあの目もくらむような高さで痛い目に遭いながら悠然と作業を続けることが
できた理由がどこにあったのか、ウォレスにとっては想像もつかない謎だった。

蜂がたいまつの煙で麻痺したわけがなく、また煙のせいで全員が逃げ出したわけでもない。
ましてやたいまつの細い煙がかれの前身を覆い隠すこともありえなかったのだから、これ
はもう、蜂の巣獲り人が蜂刺されに慣れきっているという結論になるのだろうか?

かれは悠然と、残る三つも同じようにして地上の仲間に送りつけた。こうして蜂の巣獲り
大作戦は終了し、一行はハチミツとハチの子の甘美なご馳走と金になる蜜ろうを手に入れ、
喜び勇んで帰って行った。


現代のティモール島でも、伝統と化した蜂の巣獲り活動は続けられている。東ヌサトゥン
ガラ州南中部ティモール県ノエベシ村で2010年12月のある日、ひとりの老人と4人
の男たちが部落の入口に集まった。夜明け前の午前5時ごろだ。一行は蜂の巣獲りに必要
な道具を確かめてから、出発した。部落の外を取り巻いている森の中に分け入っていく。

森の中の一本の巨木の下までやってくると、男たちのひとりが枯れ木を集めて濡れた草を
巻き付け、たいまつを作った。煙がたくさん出る方が良いのだ。他の者たちも樹の下で焚
火を熾して蜂の襲撃をけん制する。蜂は火を怖れるのである。

蜂の巣獲り作戦を開始するに当たって、かれらは呪文を唱えて祈った。何を祈ったのか?
蜂が怒り狂って自分たちを襲わないように。自分たちが蜂の巣を獲ることを許してくれる
ように。自分たちが蜂の巣を獲ったあとも、この樹に住んでまた蜂の巣を作ってくれるよ
うに・・・・

蜂の巣獲り人はするすると30メートルくらいの高さにまで、猿のように登って行く。背
には収穫物を入れる容器を背負い、手には煙を吐くたいまつを持って。巨大な蜂の巣の付
いた枝は断崖絶壁の上に張り出している。ひとつ間違えば悲惨な運命が蜂の巣獲り人を待
ち受けているのだが、男はまるで普通に地上にいるときのような平常心で、怖れを微塵も
感じさせずに枝の上で振舞っている。

取材のコンパス紙記者が不安を口にすると、老人はこともなげに答えた。「蜂の巣獲り人
はみんな少年のころから高い樹に登っている。そしてみんな正しい暮らしをしているから、
ご先祖様が守ってくれる。普段からアダッadatの定めに従い、この仕事の前に十分に心身
を清めて行うかぎり、事故は起こらず、全員が無事に獲物を持ち帰ることができる。心身
の浄めに手抜かりがあると、蜂に刺される。」


この地域一帯の産業は蜜ろうとハチミツだけだ。たとえばノエベシ村は人口1,293人、
298世帯から成っている。そして年間にハチミツを15〜20トン生産する。行政も住
民の蜂の巣獲り活動を強く支援している。森を護り、みつばちを護り、最大限の自然保護
を行って、住民が繰り返し蜂の巣獲りを行えるよう、行政機構が総出で支援しているので
ある。

蜂は火を怖れる。故意であれ自然現象であれ、森林火災が起きたら蜂が遠くへ去ってしま
う可能性が高い。蜂に去られたら地元民の経済活動が消滅してしまう。行政機構がもっと
も恐れていることがそれだ。

住民はみつばちが好んで巣を作る樹をよく知っている。angkai, kabesak, bonak, nitas, 
hue, taopih, kusambi, kapuk hutan, ampupuなどのみつばちが好む樹を住民は決して伐
採しようとしない。森林を開墾するときでも、それらの樹はできるかぎり残そうとし、お
まけに開墾地の植物を焼いて空き地にしようと考える者もいない。

ヌサンタラのいたるところで農園用地転換やその他の目的のために森林を燃やすことが行
われているというのに、ティモール島で記者一行は森林から出る煙を目にしなかった。
[ 続く ]