「マサカンパダン(5)」(2021年08月16日)

宅配会社のサービスが開始される前の時代、イブイブたちは長距離バスの運転手に貨物を
託した。ルンダンはビスケット缶に入れ、サンバルラドは空き瓶に詰める。時には米と一
緒にそれらをパックする。そして夜明け前の暗いうちに、イブイブたちは街道の道路脇に
立って、自分の送り先に向かうバスを止めるのである。

運転手もほとんどがミナン人であり、運転手たちはイブイブに金の支払いを求めなかった。
バスは乗客を終点ターミナルで下ろすと、バス会社の駐車プールに入る。バスの行き先の
地に住む受取人が駐車プールに出向いて品物を受取るのである。このシステムのために各
地に住むミナン人たちはミナン人長距離バス運転手を粗略に扱わなかった。


ルンダンはミナン人のランタウの歴史と深く関わっている。6世紀ごろから始まったと言
われるランタウに成長した子供を送り出す親は、護身術としてのシラッsilatを身に付け
させ、宗教の教えを深く理解させ、空腹を防ぐためにルンダンを持たせた。母親から離れ
て異郷に身を置こうとする子供に母親が与えるものは母の愛を具現化するルンダンである
という観念が伝統と化していたのだろう。

あるミナン青年がイギリスに留学することになった。イギリスにもレストランパダンがあ
るから食べ物の心配はいらないとかれは母親に言い、母親も「ヤー、ヤー」と返事をした。
かれがイギリスに着いてホテルでトランクを開いたところ、トランクの下の方にルンダン
とサンバルラドが入っていたそうだ。メッカへのハジ巡礼に旅立つミナン人は、一人残ら
ずルンダンを持って行ったという話もある。


このルンダンがいつからミナンの地に存在していたのかについて、ミナン人のランタウの
歴史と共に存在していたというのが定説になっている。ただし、ルンダンという名称がこ
の食品に与えられたのは、文献上では1923年の書物が最古であり、1930年ごろの
雑誌の中に頻繁に出現している。

われわれが陥りやすい誤謬に、品物と名称が同時に社会に出現したように思う傾向がある
ことを忘れてはなるまい。ルンダンという食品は1千数百年前から存在していたにもかか
わらず、20世紀になるまで、それは違う名称で呼ばれていたのだ。文献だけを根拠にす
るなら、ルンダンは20世紀になって世に出た食品という理解になってしまうが、それは
ルンダンという言葉が世に出たのであって、ルンダンと現在呼ばれている物品がそのとき
はじめて世に出たのかどうかは別問題なのである。ジャガイモの由来(語源ではない)と
オランダ人を結びつけるひとは、この誤謬に陥っていないだろうか?

1824年から1829年までパダン駐留植民地軍司令官兼パダン駐在レシデンを務めた
ユベール・ジョゼフ・ジョン・ロンベール・ドゥ・スチュイー大佐は1827年に総督に
提出した報告書の中で、インドラギリ川やクアンタン川を経由してシンガポールやマラヤ
半島に商売に出かけるミナン人たちは水気がなくなるまで料理して黒くなった肉を食料と
して携帯している、と書いた。

17世紀にウラマたちが書き残した文献には料理された肉について触れている部分があり、
ハラルでない肉を食べる習慣をハラルな肉に変えさせるべく当時のウラマたちが努めてい
たことを物語る証拠だとする見解が出されている。イスラム到来のはるか以前からミナン
カバウ族は肉食の習慣を幅広く行っていたことを推測させるものだ。

どのような料理方法かは明記されていないものの、携帯食料として持ち歩くものであるな
ら、ルンダンのような料理法が最適であることは古代人にも判ったはずだ。[ 続く ]