「マサカンパダン(6)」(2021年08月18日)

スマトラ島西岸部のアチェやミナンカバウ海岸部には、紀元前3世紀ごろからインド人宣
教師たちが仏教を伝えて来た。もちろん商人たちも同じ船に乗ってやってきた。かれらは
タマリンド、赤・白バワン、ショウガ・ターメリック・コショウなどを持って来て、スマ
トラの住民に紹介した。それらが現在のアチェやミナンの料理に使われるスパイス類のベ
ースになっている。

アチェにはインドの影響を受けたカリがあるが、ミナンにはない、と語るミナン人がいる
のだが、ミナンで普通に食されている伝統料理グライはインドのカリの一種だというのが
定説になっている。ルンダンがカリの影響を受けたのかどうかについては、憶測が語られ
ているばかりだ。カリがハイブリッド的進化の結果ルンダンという異なる形になった可能
性が感じられても、インド風カリのスパイスはルンダンに使われていないという事実に関
して、十分な説明をつけることは難しい。


13世紀にはタミール人がスマトラ西岸の諸地域に移住して来た。14〜15世紀にはタ
ミール商人がスマトラ西岸で産するコショウの買い付けにやってきて、ティクやパリアマ
ンの港が大いに栄えた。アチェはその通商圏の支配を目指して南下政策を執り、国力を大
いに発展させてスマトラ島の北半分を支配下に置いた。アチェが扱ったコショウの大部分
はミナンカバウの高原が産出したものだったそうだ。

インド人がそうしてきたように、スマトラの住民も元々の辣味はコショウを使っていた。
しかしポルトガル人が中南米から持って来たトウガラシが東南アジア一帯でコショウの役
割に取って代わった。

上で再三登場したサンバルラドのラドladoはインドネシア語のcabaiであってladaではな
い。コショウはインドネシア語でlada、ミナン語はmaricaであり、トウガラシはインドネ
シア語がcabaiでミナン語はladoということになる。

インドネシア料理にバラドbaladoという言葉の付く料理がいろいろある。udang balado, 
dendeng balado, ayam balado, ikan balado, telur balado, belut baladoなどと際限が
ないのだが、このバラドはミナン語のberladoのことで、つまり種々の食材をたっぷりの
トウガラシで炒める料理法を指している。


ミナン人にとって、肉食の重要性は特筆するべきものがある。宗教祭事や通過儀礼の祝宴
に牛肉・水牛肉のルンダンがなしには済まないのだから。ラマダン月とイドゥルフィトリ
に肉のルンダンを食べなければ祝いにならないのだ。ラマダン月が始まる直前になれば、
各家庭が大量の肉を買ってルンダンを作る。

各家庭で作ったルンダンは親族への届け物にしたり、モスクに提供して大勢が一緒に食事
するための食べ物にする。ルバランの前には、たいていの家庭で主婦が数十キロもの牛肉
をルンダンにする。ルバランの祝いに来訪する客に供し、帰省しない親族に送り、帰省し
た身内に土産として持たせる。だからその時期には、住宅地の空気をルンダンの香りが満
たすことになる。

結婚式ともなれば、新郎の家庭から新婦の母親に牛肉が贈られるのがしきたりだ。新婦の
母親が大量のルンダンを作って祝い客に供しなければならないのに、新郎側が何もしない
で良いわけがない。一般的には、新郎の父親が牛肉を買って息子に相手の母親に渡すよう
に命じる。しかし金持ちの家庭ばかりではない。牛肉を買う金がない場合、相手の母親が
新郎にこっそり金を渡す場合もあるし、牛肉が入っているようなふりをして籠だけを持っ
て来なさいとささやく場合もある。社会生活の中で伝統慣習を破ることは避けなければな
らないのだ。その家がしきたりを破る婿を迎えたと言われては、一家一族の面目が丸つぶ
れになる。[ 続く ]