「シロアリ(1)」(2021年08月16日)

四つ星級ホテルの宿泊客が外出しようとして部屋に携帯電話機を置き忘れたのに気付き、
ロビーに友人を待たせて急いで部屋に戻った。ドアの鍵を開くのももどかしく、かれは部
屋に飛び込んだ。一瞬遅れてドアがバタンと閉まった。

すると突然、天井がベッドの上に崩れ落ちて来たのである。客の身体に被害はなかったが、
かれは愕然としてその光景を見つめるばかりだった。バンドンで起こったそのできごとと
似たような事件はインドネシアでときどき起こっている。その犯人がシロアリだ。

大統領宮殿でさえ、シロアリの被害を免れることはできない。ジャカルタの建築物は78.
3%がシロアリの被害を蒙っており、ジャワ島の都市部では平均して25%程度と見積も
られている。ジャカルタのある高級マンションで調査が行われたとき、35階までシロア
リのコロニーができていることが判明した。ジャカルタやスラバヤの被害が大きいのは、
シロアリが湿った土地を好むからだ。乾燥した土地にはシロアリのコロニーができにくい。
インドネシア各地に建てられた小学校の多くが長い年月のあとに崩れ落ちるのは、木材が
シロアリに食われて耐久性を失うのが主な原因だそうだ。


シロアリは音もたてずに木材をひたすら食う。建築物に使われている木材。木製の家具調
度品。ほんのわずかな木材が使われているだけのソファーであっても、シロアリは知らな
いうちに木質部分のセルロースばかりか、革や他の資材までをも食う。金属まで食うとい
う話なのだから、たいへんなものだ。

一匹の白アリが一日に食うのは0.03グラムだが、万を超えるハタラキアリが黙って食
い続けるなら、扉も木枠も十年後には張り子のトラと化してしまう。木材の内部は空洞化
し、外見は元の形を保っていても、内部は朽ち果てたものと変わらなくなるのだ。ひとつ
のコロニーに所属するシロアリは260万匹に達すると言われている。

インドネシア全土には2百種のシロアリが棲息しており、そのマジョリティを占めている
のはCoptotermes curvignathus、Macrotermes gilvus、Cryptotermes inspiratusの三種
で、その中のイエシロアリ系と思われるコプトテルメスが人間の暮らしにとって最大の害
虫である。

ボゴール農大シロアリ研究室によれば、コプトテルメスは種々の生活環境に適応し、コロ
ニーの維持存続のための活動が巧妙に、しかも活発に営まれているそうだ。かれらの生存
システム内での個々の仕組みの合目的性がたいへんに高いものであることを、それは意味
している。だが、人間の暮らしに使われている木材が巧みに、しかも活発に食われたなら、
人間にとってはいい迷惑になる。


シロアリの王国では、卵を大量に生み続ける女王アリ、女王アリに卵を産ませ続ける王様
アリ、そして大量の働きアリと兵隊アリが種の保存を目指して活動を続ける。インドネシ
アでは雨季が始まると、夕方暗くなってから大量の羽を生やしたシロアリが地面から飛び
立って灯りに集まって来る。数千匹の大群が空中を乱舞する姿を初めて見たとき、わたし
はこれが大自然の猛威というものだと思った。

インドネシア語では、羽を持って飛ぶ姿のシロアリをラロンlaronと呼び、羽のない状態
でうじゃうじゃと這いまわっている状態のものをラヤップrayapという名称で区別してい
る。ジャワ人の昆虫食のひとつがラロンである。
ラヤップは働きアリと兵隊アリ、およびラロンになる者で構成されていて、働きアリと兵
隊アリは生殖能力を持たないが、ラロンになるのは生殖能力を持っている。ラロンは成長
して身体が大きくなると、羽を生やして巣から地上に飛び出して来る。

かれらは地上に出て灯りの周囲を飛び回りながら伴侶を探す。カップルができあがると、
新しい巣を作るために家屋や樹あるいは土の中に潜入し、そこで女王アリと王様アリにな
って卵作りに精を出し、新しいコロニーを建設するのである。[ 続く ]