「マサカンパダン(7)」(2021年08月19日)

あらゆる祝い事、更には社会交際のためにルンダンが大量に使われるために、ミナンカバ
ウ族はヌサンタラでトップの肉消費社会になった。19世紀にオランダ人が書いた報告書
には、しばしばその言葉が記されている。

東南アジアの原住民社会では、古代から肉食があまり盛んでなかった。土地の大部分が広
く密なジャングルに覆われている東南アジアで牧畜業はあまり発展しなかったのがその原
因だ。アチェを訪れて長期滞在したヨーロッパ人の見聞録には、2千人のヨーロッパ人が
ここに住めば、牛と鶏は短期間のうちにこの地から姿を消すだろう、と書かれている。

あるいはフィリピンにヤギが少ないことを書いたヨーロッパ人も、スペイン人が15〜2
0人くらいここに住めば、2〜3年でここのヤギはいなくなってしまうだろう、との印象
を記している。

肉食に不利な環境は肉に希少価値を与え、肉食を贅沢な行為にし、それを行うことに権威
と優位や偉大さという社会的価値を付与した。生贄を祭る儀式は稀な肉食の機会をもたら
すものになり、祝宴の権威が高まった。重要度の低い祭事に使われる生贄は質的量的に普
通にある魚や鶏で構わないが、重要度の高い祭事では質的量的に稀で内容のより豊かな牛
や水牛やヤギなどが必要とされた。

こうして、肉を食べること、しかもルンダンの形で食することが、ミナン人にとっては個
人のアイデンティティを示すもの、つまり社会ステータスをシンボライズするものになっ
たのである。事実、数十年昔にわたしがミナンレストランで、肉よりも野菜をたくさん食
べる方が好きだと語ったとき、「そりゃ家畜みたいだ」というコメントがミナン人から返
って来たことを覚えている。食物連鎖の最高位にいる人類の威厳を示す食物は肉であると
いう観念をミナン人が持っていることをそのとき感じた。


ミナンカバウでルンダンの中心地とされているのがブキッティンギから30キロほど東方
にあるパヤクンブPayakumbuhの町だ。市内タンマラカ通りには、ルンダンを売る店が並ん
でいる。そこへ行けば、定番の牛肉や水牛肉以外の、思いもかけない素材を使ったルンダ
ンが手に入る。卵・シンコン・トウモロコシ・チリメン雑魚・バソ・シダの若葉・・・

リンタウLintauやバトゥサンカルBatusangkarでは、タウナギのルンダンも作られている。
一緒に料理される葉野菜にいろいろなバリエーションがあり、それぞれが違う風味をかも
しだしている。

カパウでは、家鴨や鶏のルンダンの方が一般的だ。家鴨の肉はまず湯につけてから羽をき
れいにし、弱火で焼く。そのあとはじめてルンダンを煮る大鍋に入れる。そうすることに
よって、ルンダンのスパイスが肉の隅々にまでしみ込むのである。カパウやリマプルコタ
の住民は牛や水牛をなるべく耕作作業に使おうとして、昔から家鴨や鶏を食材にする方が
普通だったのである。

しかし祭事ともなると話は違ってくる。牛または水牛のルンダンは絶対になければならな
い。ニワトリやタウナギのルンダンで済ませるわけにはいかないのだ。アダッの祭事でそ
れが守られなければ、その祭事はご破算になる。ミナン人にとってルンダンはinduk samba
と呼ばれている通り、最重要なおかずの意味を持っているのである。[ 続く ]