「闘う羊たち(1)」(2021年08月23日)

adu dombaという言葉がある。adu ayamは闘鶏、adu anjingは闘犬、adu layang-layangは
喧嘩凧。だから闘羊というのがその邦訳になるだろう。ところがKBBIには「融和して
いる集団を分裂抗争させること」という意味が記されているだけで、「羊の喧嘩」の意味
が書かれていない。

インドネシア史の書物を読むと、オランダ人はヌサンタラの諸王国をアドゥドンバして支
配下に置いたといった表現がしばしば出現するので、KBBIは決して間違っているわけ
ではないのだが、生きているオス羊が頭突きをし合って闘うことが第一義にされなかった
のはどうしたことだろうか?西ジャワ地方ではngadu dombaと呼ばれる闘羊の祭りが現実
に催されているのである。


aduの語は「闘わせる」という意味の他に、「扇動する」「挑発する」という意味でもよ
く使われていて、「融和している集団の仲を裂いて、互いに争い合うようにけしかける」
のがアドゥドンバであるというのも良く分かる。この表現に羊が取り上げられたのはやは
り、「おとなしく群れている羊を互いに喧嘩させる」というイメージが意味とよくよくフ
ィットしたからではないかという気がする。

だからadu dombaという熟語は完全なる比喩表現だろう。なぜなら、大きな群れの羊たち
がいくつかの集団に分かれて抗争し合うようなことは現実に起こらないからだ。闘う羊は
オスだけであり、しかもボスの座を賭けて決闘するだけなのだから。


オス羊を一対一で戦わせる~ガドゥドンバの催しは、西ジャワ州ガルッGarutが発祥地らし
い。ガルッは今でもヌサンタラ有数の羊生産地になっている。事跡をたどると、1931
〜32年ごろにガルッ県チブルッCibuluh村の広場で行われたところまでたどり着けるの
で、確信が持てるのはその時代になる。しかしもっと古代からの催事という可能性を否定
するものではない。西ジャワのひとびとは闘羊について、古い時代から祖先が行ってきた
故事だと思っているひとが少なくないのだ。

1931年ごろから~ガドゥドンバはチブルッ村で毎週日曜日に開かれて、見物に来たひ
とびとは金を賭けて遊んだ。ところが1970年になって賭博が廃止されることになり、
チャンピオン羊を選出してその羊と飼育者の名誉を世間に知ろ示す祭典という健全なスポ
ーツ精神の催事に変化したのである。

日曜日になると朝8時から広場で試合が始まる。飼育者が精魂込めて育てたオス羊を連れ
てやってきて、試合は16時ごろまで続く。雨が降ると中止になる。また宗教上の祝日や
独立記念日には開催されない。


~ガドゥドンバに登場する羊たちはメリノ種、アラブ半島やオーストラリアが原産の脂尾
羊domba ekor gemuk、プリアガンの地元種が掛け合わされたものだそうだ。尾が太く、そ
して毛と角はメリノ種で、更に精神がタフであるために環境の様子の変転におびえたりし
ない。その羊たちは闘羊用として飼育されている。闘鶏用のニワトリと同じだ。

当日、飼育者が連れて来た羊はクラス分けがなされ、同じクラスの羊の中で飼育者が相手
を選ぶ。試合の順番が来ると、飼育者は愛羊を連れてアリーナに登場する。羊は相手を目
にして既に闘志満々、すぐにでも相手に飛び掛かろうとするが、飼育者は審判が開始を宣
言するまで羊の急所を押さえて自制させる。

試合開始が宣告されると、羊は相手に頭突きを食らわせようとして飛び掛かって行く。空
中で互いの頭蓋骨が激しくぶつかり合うのだ。頭突きの最大回数はクラスによって違って
いるが、30回もの頭突きをすべて消化して、まだ決着が付かずに延長戦を、と言うケー
スはあまりないらしい。たいてい弱い方が逃げ腰になり、あるいは一目散に逃げだす羊も
いて、誰が見ても勝敗は明らかというケースが多い。

審判は選手(つまり羊)が大けがをしないように最大限の配慮を払うものの、不幸にして
アリーナで死ぬ者が出ることもある。そうなると、羊はその場で解体されて、その肉はや
って来たひとたちへのお持ち帰り品にされる。そしてその羊の飼育者には、実行委員会か
らそれに見合う金が支給されるという寸法だ。[ 続く ]