「カリマンタンのダヤッ料理(1)」(2021年08月24日) 世界のどこでも河が古代文明を育んだのと同様に、カリマンタン人の文明も河に興り、河 に沿って発展した。ムラワルマン王の名と共に不朽のものになっているインドネシア最古 の王国、東カリマンタンのクタイ王国は、マハカム河の河口であるクタイカルタヌガラ県 ムアラカマン郡に都を置いた。ムラワルマン王の碑yupaは河口から近い丘の上に建てらて おり、西暦紀元400年ごろ建てられたと見られるその石碑はパッラワ文字で書かれたサ ンスクリット語の銘文になっていて、クタイ王国がインド系王朝だったことが確実視され ている。王都がマハカム河口にできたことの原因のひとつに、食の豊かさがそれを保証し たためだという見解も出されている。 このインド系王国は後に興ったイスラム系のクタイスルタン国に滅ぼされたので、それら を区別するために古代王国はクタイマルタプラ王国、イスラム系はクタイカルタヌガラ王 国と呼ばれている。それらとは別に、今の西クタイ県スンダワルSendawar、別名スンタワ ルSentawarにも小王国があり、西クタイのダヤッ人はスンダワルが種族発祥の地であると 認識している。 カリマンタン島の三大河川は東のマハカム河(980キロ)・中部のバリト河(880キ ロ)・西のカプアス河(1,143キロ)から成っている。それぞれの大河は陸地を分断 する数限りないほどの支流を持ち、川水が流れる場所にダヤッ人の居住場所を提供した。 ダヤッ族はたくさんの支族に分かれていて、中部地方だけでも~ガジュNgaju、オッダヌム Ot Danum、ラワ~ガンLawangan、マアニャンMaanyanの四つの主支族がおり、それに131 もの小支族が所属している。小支族はバリト河の支流の流域を占有し、それぞれが独自の 文化の中で自治的に暮らしている。ところがかれらはバリト河という大河で相互に結ばれ ていて、文化面での融合ばかりか、実生活での相互扶助もまるで親戚付き合いのように行 っている。 たとえば陸稲の取り入れに失敗が起こった上流の小支族が河口の小支族の穫り入れに参加 して、米をもらって帰る慣習がある。上流ではほとんどが陸稲栽培で、収穫期は6〜7月 であり、河口では水稲栽培が行われて収穫期は8〜9月になっている。そんな仕組みの違 いがその慣習の実現を支えているのも間違いあるまい。 クタイ王国だけでなく、古くからすべての大河の河口に大きい町ができて、更に人間が海 岸部から内陸に移動を始めたとき、河が使われた。河は天然に作られた街道の役割を果た し、ひとびとは木の幹をくりぬいたジュクンjukungやランカンrangkanと呼ばれる大型小 型の船で街道を上り下りした。 原住民コミュニティが宿駅のように距離を置いて河川沿いに生まれ、友好的に通行しよう とするかぎり、旅人は各宿駅で大いに歓迎された。もちろん贈り物がないでは友好さが証 明できないことを忘れてはならない。 それらの原住民コミュニティは周辺のジャングルと、そして村が面している河川から食料 を得た。カリマンタンの食事は陸の幸と水の幸に満ちている。そして水の幸は川魚料理が 多い。 ダヤッの~ガジュ族はミヒンmihingと呼ばれる巨大な船の骨組みのような木製構造物を川 底に置いて魚を捕る。ミヒンは8種類の籐竹木を材料に使い、長さは数十メートルに達す るそうだ。このミヒンについての伝説がある。 昔々、ボワッという名の男が上界に連れ去られた。ダヤッの宇宙観は上界・現世である人 間界・そして下界で構成されており、人間界は上と下で異界に包まれているという観念に なっている。上界は天国であり、人間界と異なる不滅の世界だ。下界は人間界に似ている がやはり不滅の世界だ。有限な人間界とそれらが相互に補完し合って存在しているという のがダヤッの宇宙観なのである。人間は死ぬと上界に移る。そのときに河を通って移ると されていて、河は人間界にとって上界と下界に至る通路と考えられている。[ 続く ]